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■ 凛として、しなやかに生きるがいい / 第一コリント6:9~20 (2013-08-18)

新聞のスポーツ欄に「目からうろこ」の話があった。
 誰もが子供の頃から知っていたお話。「ウサギと亀」の競争である。
なぜ、ウサギは亀に負けたのか・・・いとも簡単な例話であった、と思っていたらビックリ仰天、晴天の霹靂そのものの展開があった。
ウサギの敗因、それは、ウサギは亀を見ながら走ったからだ。
 亀の勝因、それは亀はあくまでゴールを目指していた。
つまり目標設定に決定的な差があった。物事の真価が見抜けなければ、人間も成功しないということだった。
 実にエイメンである。
つまり、私達クリスチャンこそが、イエスをしっかり視界にとらえた生活、生き方をして行かないと、思いがけない失敗をする、ということである。
ヘブル書は言う。「キリスト・イエスから目を離さずにいよ!」
 

イスラエルが約束の地に近付いていた頃、神は事有るごとに執拗にモーセに語られていた。
 出エジプト記、民数記、申命記において、幾度も語られた。
それは「約束の地」には既に多くの異民族が住んでいる。
そして異民族はそれぞれに偶像礼拝を行っている。
だから彼らと同じ場所に住んではならない。
もしそうしなければ、やがてイスラエル民族は異邦人と交流し、そこに縁が結ばれ、やがては必ず偶像を礼拝し、唯一誠の生ける神から心を離すことになる。
 『彼らはあなた方にとって目の棘となり、わき腹のイバラとなり、あなた方を悩ますようになる。』
 

 

どこの国であろうと、人間は実に誘惑に弱い存在だ。
 恋愛、快楽、楽しみ、いわゆる肉欲に対しては無防備と言ってもよい。
だからコリントの教会に対するパウロの言葉は厳しくて当然であった。
 『あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。
 不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、
 盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。』
そういう火種、根っこが教会にあるとしたら、やがていつか教会は解体され、崩壊するだろう。
 清さ、聖という部分が、教会の壁から欠け落ちた礼拝に何が残るのか。

 

 列挙された一つ一つの指摘を見て、これは私に縁がないもの、これは関係無いもの、これはちょっと区エッションなどと言えないのである。
よく考えてみると、それぞれはすべてキリストには似つかわしくないのである。
 例えば十戒のうち、九が守れても、内一つが抜け落ちたとしたら、やはり十を守れなかったこととなる、と主は言われた。
パウロの指摘を己が身に照らしてみると、情けない話だが、完全に縁無しとは言えない私でもある。
だが、その後のパウロの言葉に救われた思いがする。
 『あなたがたの中のある人たちは、以前はそのような者でした。
しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。』
 

 凛として生きたい。
 立つべきところ、しっかりと主と主の言葉に生きる、従う。
 減り張りを持ったクリスチャンになりたい。
タラタラと惰性に流されず、「ここぞ」という時は負けない。
アブラハムの生き方である。
 彼だって必ずしも従順を通したわけではなかった。
だが、「ここぞ」の場所では、自分をさえ踏み台にして主を仰いだ。
しなやかに、しなやかに・・・・それは試練によって、しなっても折れない信仰者である。
 一人で生きるのではない。
 

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