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■ あなたが知るために / 申命記29:1~6 (2013-10-27)

October 26, 2013

旧約聖書の申命記の通読はこれまでで3度目、いや4度目かも知れないし、それ以外でも目にして来たが、これほど心に迫る恵みは初めてである。
キリスト者は聖書を通して読むことは大切だが、通読という目的以外に大切なことがある。
それは静聴である。
 神さまがその日その時、読む人の心に応じて、若しくは新しい方向性により自由に語って教えてくれる。
 旧約の律法と主の警告、厳く感じる部分が妙に先立つのであるが、それ以上に人間への愛情がほとばしっている。
そして、端々に新約という時代が未来にあることを予感させてくれる。
 

 申命記29章2~4節
 「モーセは、イスラエルのすべてを呼び寄せて言った。あなたがたは、エジプトの地で、パロと、そのすべての家臣たちと、その全土とに対して、主があなたがたの目の前でなさった事を、ことごとく見た。
あなたが、自分の目で見たあの大きな試み、それは大きなしるしと不思議であった。
しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。」
 

イスラエルはエジプトを出て以来、多くの困難に出会った。
 目の前には海、追い迫るエジプトの軍隊、そのとき紅海が割れ、数十万のイスラエルびとは海の底を歩いて渡った。
シナイ半島に入ってからは岩から水がほとばしり出て、彼らの喉を潤した。
 更に空から毎朝降りてきたマナという不思議な食べ物によって、彼らは生き延びた。
ヤハウェと呼ばれた神は数え切れぬ恵みと大きなしるしでイスラエルを守られた。
しかし、イスラエルはその不思議なしるしの意味を悟らなかった。
ヤハウェの御心と計画は心が閉じていた彼らには到底知りえぬ出季事だった。
 

モーセは今、約束の地に入ろうとする時点でイスラエルにそのことを語った。
 「しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。」
 幾ら不思議を体験しても、見ても、聞いても、悟る心がなければ人は神さまのご計画を計り知ることは出来ない。
 現代の私達も同様である。
 神さまが私達に対し悟る心、悟ろうとする思いと探究心、不思議の出来事の意味、それらはすべて主が下さらなければどうしようもないことである。
 私達人間の指向性でなく、神さまの指向性をなぞろうとする心と姿勢を人間は元々持っていない。
そこに人間の自己中心、利己主義が邪魔をしているからだ。
 神によって開かれなければ・・・・人は何も悟り得ない。
 

 新約時代になって私達は初めてそれを理解できた。
 聖霊さまが働いて下さる事によって、人は初めて理解できるのである。
 見る目、聞く耳、悟る心は神からの授かりものなのだ。
 教会学校の教師、信徒訓練のリーダー、そして教役者、これら聖書のみことばに関わる人々は実に恵まれた環境に置かれた人たちである。
その領域こそ既に神さまの指向性に触れるべく用意された場所だから。
ああ、主の恵みと憐れみはなんと奥深く、不思議なところにあるのだろう。
 

 昔、こんな記事を読んだことがある。
 「もし、無人島で過ごすとしたらあなたは何を持って行くか?」
 答は聖書であった。
しかし当時の私は思った。
 「ヘエ、聖書ってそんなに面白いの?とてもではないが、そうは思えない。」
 否、確かに聖書は面白いし、不思議だし、奥深く実に広い。
 主の言葉(聖書)を聴いてこそ、日々目から鱗の人生がおくれる。
 毎週日曜日、聖書を中心に主に仕える人々は、醍醐味に溢れた1週間を過ごしている筈だ、と思うが、いかがであろうか。
 

 

 

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