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■ あなたの神は小さ過ぎませんか / ヨシュア記6:1~20 (2013-11-17)

November 16, 2013

人間の脳という場所は実不思議で凄い力と機能を持っている。
しかし通常、人間はその脳の能力100%に比して僅か十数%しか働かせていないと以前何かの資料で読んだことがある。
 勿体無いと思いつつも、私など3%程度であろうかと思う。
 実に浅い限界である。
 

 昔、教会の弟子訓練で出会ったのであるが、それはそれは膨大な資料を丸暗記する作業が待っていた。
 一つのプレゼン(発表)に要する時間は、喋って25分から40分であった。
 学びのスタート当初は割とすんなり覚え込んだのであるが、二つ目、三つ目と進むうちに非常な困難を感じる様になった。
それでも乗り越え進む4つ目あたり、どうしても頭が受け付けないという壁にぶち当たった。
 暗記したいのであるが、私の脳メモリーは既にパンパンであり、入って来ないのである。
 祈っても入らないが祈るしかない。
 思わず呻くように、幾度も主に祈った。
 「主よ、私にはもう無理です。あなたが与えて下さらねば、これ以上とても進めません。」
そしてゆっくりではあるが、四つ目を何とかクリヤーし、更に五つ目、六つ目まで覚え込むことが出来、無事終了した。
 創造主は私の脳内に働いて下さったのである。
あの時、おそらく数%の記憶装置を与えられたのかも知れない。
それほどに人は僅かで小さく狭い頭で神さまを考えている。 宇宙を支配され、天と地を創造された神さまは果たして人の頭で捉えきれるだろうか。 心と頭と信仰で深さ、高さ、広さにおいて永遠そのものである様な「見えない存在」をどこまで意識できるのだろう、と考えた。 無理である。 私達は、やはり自分の想像範囲と限界ある知識で精一杯ではないだろうか。 信仰と言ってもやはり個人個人の領域内ではないだろうか。

 

ヨブ記の終わりの方で神さまが、ご自身の視界と働きの「ほんの一部」をヨブに語られる場面がある。
そのとき、信仰面において、この世で一番と思われたヨブは己が信仰の世界を見させられ愕然と膝を折り、頭を垂れるしかなかった。
ヨブは悟らされたのである。
ヨブに比べて、はるかにはるかに及ばない私達ならどうなることか・・・
 

 この小さい胸と頭と、狭量な心と視界で到底神さまを捉えきれないのである。
 人間に捉えきれないから神なのかも知れない。
 自然界と人を「ことばだけ」で造られた神を捉えようとすること、測ろうとすること自体が既に傲慢なのであろうか。
 心から「神さま」と言うとき、その時点で人は頭を垂れることしか出来ないのであろう。
 

 捨てるに捨てられないプライド、利己心、誇り、自尊心は何かにつけて直ぐに頭をもたげる。
 神さまの大きさ、慈愛、十字架にそれら私の罪一切をイエスに負わせて下さった限りなく繊細で深い慈しみを想像するとき、「ああ、私は何と小さく、そして大きな罪びとなのだろう。」と思うしかない。
 

 

 

 

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