■ はじまり / 創世記3章1~15 (2013-12-01)

創世記2章、神さまが自然界を造られ、そして人を造られた経緯が描いてある。 初めにアダムが造られ、続いてエバが造られた。 男の為に造られたかの様な流れであるが、聖書ははっきりと言う。 「彼のために彼の助け手を造ろう。」 遠い昔、男尊女卑の時代に「助け手」と表現したことを現代人は知るべきであろう。 画物語の様な文章の中で、人の魂と霊の救いこそが真理だとして描かれて行く。

アダムはエバを見て大いに心から喜び、彼女の造り主である神を讃えた。 そして傍らのエバを見やりながら言ったものだ。 「これこそ私の肉からの肉、骨からの骨!」

エデンの園には大きくて地を這うもの、人を悪へ誘惑する存在があった。 そして、それさえも神さまが造られた被造物であった。 日本語では一貫して蛇とあるが英訳ではSNAKE(一般的な蛇)ではなく、SERPENT8スネ-クよりも大型とある。 (サーペントとは、地を這いながらヒトを悪へと誘惑する存在である。) サーペントはエバに声をかけた。 「その実を食べると死ぬ、と神は本当に言われたのですか?」 女は答える。「食べて死ぬといけないから・・・と言われました。」 彼女はそう言ってから、思わず木の実を凝視したのである。 よく見ると、それは食べるによく、目に慕わしく、賢くするかの様に見え、いかにも好ましく思われた。 (聖書はここで人間が常に欲する三つの点を掲げているが、サーペントは既にそのことを確実に捉えていた。) そして女はそれを取って食べ、一緒にいた夫に与え男も食べた。 ここに「神と人の関係に決定的な亀裂が入る始まり」があった。

そのことは同時にひと社会崩壊の始まり」でもあった。  つまり家庭での人間関係、社会での人間関係、民族と民族、国と国、すべて人と人の関係において傷つけあい、われ先に、他者を蹴落とし、自分だけが、自国だけが、というエゴイズムが氾濫し、結果人は神の命令に逆らったことが時代を通して悩みの種となった。

男は過ちの責任を、神が造られ自分に与えた女、つまり原因は女であり神であると言い張り、そして女は責任をサーペントのせいだと言った。 こうしてエゴイズムは利己的で責任を他者に擦り付け合う人間性の象徴となった。 しかし、この出来事は全人類の罪からの救いとして「神が与え給うメシヤ到来の予言の始まり」であり、人間の罪の代価を神が代わって支払う贖いへ向かうが、それ以外に人間が神に帰る道は一筋も無かったのである。 

イエスのご降誕は創世記3章の出来事と「修復の約束の成就」である。 創世記3章15節 『 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。』 (サーペントは敵意(メシヤ)に大きな痛みを与えるであろうが、敵意(メシヤ)はサーペントに再び立ち上がることの出来ない決定的ダメージを与える。)

イエスは罪と死とサーペントの力によって贖いの十字架を背負い殺されるが、イエスが3日目に彼がよみがえらされたことにより、罪と死とサーペントの力が人類を永遠に悩ませる終焉を突きつけたのである。

あなたの罪の代価は既に十字架で支払われた。 あなたが知らない時代に、既に代価は支払われた。 あなたが失うものなど何一つ無い。 ただ一つ、イエスキリストを心にお向かえして永遠の命を自分のものとしていただきたい。

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