■ あなたのために / ルカ2:1~20 (2013-12-22)
神の御子がこの世にお生まれになったとき、寝かされた場所は家畜の飼い葉桶だった。 その瞬間の景色を想像すると、実に御子イエスの宿命を象徴するものだった。 飼い葉桶、それは確かに不潔極まりないものであった。 第一、清潔な飼葉桶など無い。 だが、おぞましい(ゾッとするほど嫌な感じ)飼い葉桶も無いだろう。
イエスさまが住み給う場所は、私達信徒の心である。 確かに人の心は外観を持たない。 故に心は他の誰にも見られない。 その心を知っているのは・・・・とどのつまりは神さまだけか。
人の心と飼い葉桶のどちらが綺麗だろう。 そしてどちらが汚くないかと言えば、飼い葉桶かも知れない。 ふと・・・そう思った次第である。 神の御子はお生まれになった時も、そしてよみがえられた後も、そして今も、飼い葉桶より不潔な場所におられるのだと思う。
御使いはイスラエルの民の中で、真っ先に羊飼い達を御子誕生の目撃者として選んだ。 聖書は常に、身分は低く、名も無き羊飼い達を中心に置いている。 有名な詩篇23篇は「主は私の羊飼い」と真っ先に語り、ヨハネ福音書10章ではイエスは「わたしは良い羊飼い。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と書いてある。
真っ暗で寒い荒野の粗末な仮小屋で生まれたメシヤの立場は、金持ちでもなく、高貴な家庭でもなく、名も無き貧しい家庭であった。 天のみ国の栄光を捨て、この世の貧しさと苦しみ、無力という布に包まれ、愚かで弱い羊の牧舎として33年間の生涯を人類のために生きてくださった。 しかし、その家庭は心優しく、慎ましやかで信仰深い両親の下であり、温かい場所であった。 一般的人間が価値とする物には凡そ恵まれていなかったが、人が最も幸せと思う環境であった。 彼は私のため、あなたのために、ベツレヘムの荒野で産声をあげた。
ルカ2:10~12 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
イエスご自身が救いという存在である。 イエスを自分の心にお迎えするのである。 ひとりひとり、皆それぞれが直接的にイエスを心に迎えなければならない。 彼はそのために来られたのだから。