■ 当然はあくまで予想 / ヨブ42:1~6 (2014-02-16)

37年の教会、内20年近く牧師として礼拝を重ねる中で今年の大雪は希なる豪雪であった。 雪に弱い東京と言われるが、事実である。 北国の人には笑われるだろうが、やはり60センチを超える積雪は難儀であった。 すべての交通機関はストップ、そして私自身も通りに出られない、国道さえも通行不能であった。 遂に雪に閉じ込められた日曜となった。

日曜は礼拝に行くことが当然であった。 もし行けないとしたら、旅行か体調不良程度の場合である。 元気で家に居ながら礼拝に行かないことは、普段味わえない気持ちを知ることであった。

「当たり前」が壊れたとき、何が起きるだろう。 一つ、当たり前は傲慢を積み上げることである。 当然とは100%、同じように巡ってきて、同じように成し遂げられるべきことだ。 しかし、所詮は人間が中心であるからこそ、そういう発想をしたのである。 極端とは思わないが、明日の命さえも分からぬ人間が「当たり前」を口にしてよいのだろうか。 弱点も欠けも限界もある人間である。 本当はもっと謙遜にあるべきであろう。 当たり前を当たり前に生きられる人などいない。 数十年の短いスパンだったら、当たり前も説いても構わない。

二つ、「当然の原点」はあくまで人間が造った論理である。 聖書の世界に当然はない。 神さまの視界に当然はない。 やがては地上に太陽の陽が降り注ぐことが終るだろう。 海が逆立ち、陸が飲み込まれる日も来る。 空から雨あられと降り注ぐ隕石の日も来る。 そして地上に人が住めなくなる時も来る。 たかが70年、80年、生きる人間の当然は実に短い期間の繰り返しを表現したに過ぎない。・

三つ、礼拝に行けることは端的に言うなら、奇跡である。 1週間の168時間無事に生活し、活動できた結果である。 心が変わらないで良かった。 病気や怪我から守られて良かった。 自分や家族が守られたから礼拝に参加出来る。 体も心も、主に守られ導かれた結果ではないか? オリンピック出場選手達の4年間、いいや今日までの半生に大きなドラマがあった。 ストーリーは誰が書いたのでもない。 彼らの人生、そのものが感動のストーリーである。 生きていることは決して当然ではない。

創造主という神を思えば思うほどに、知れば知るほどに、神さまが分からなくなる。 「分からない」と感じる神は、私の神観の神であって、神は絶対に変わることはない。 だから、神なのだ。

ヨブ記42章 ヨブは主に答えて言った。 あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。 知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。 まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。 自分でも知りえない不思議を。 どうか聞いてください。私が申し上げます。 私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。 しかし、今、この目であなたを見ました。 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。

所詮、人は悔い改めることが最も相応しいものだと知る。

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