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■ 先入観 / マルコ9:9~19 (2014-03-02)

March 2, 2014

「先入観」の意味。
 『初めに知ったことによって作り上げられた固定な観念や認識。それが自由な思考を妨げる場合に言う。』(広辞苑より)
この言葉、クリスチャン達に対して、そのものズバリ良い意味の言葉である。
 例えば、私は33歳までキリスト教会とは全く無縁な世界で生きた。
 人生そのものがこの世からの先入観と曖昧な自己中心観念で培った知識は、聖書の前には余りに脆く幼かった。
しかしその分、居続ける我の強さは輝き?続けるものだった。
 

 「変貌の山」と言われる所で、弟子達はイエスご自身が「白く輝く神の栄光」で包まれたのを目のあたりにした。
 平地で見て来たイエスさまの姿からは想像もつかないものだった。
 弟子達は恐ろしさと驚きで自分を見失ったものだ。
 

 私達クリスチャン人生は山登りに似ている。
それは高く険しく厳しくもある。
 一合目、二合目と辿りながら上って行くが、それが三合目で見る景色と五合目で見る景色は違う。
 一合目で見る景色など、平地(過去)で見たものと殆ど変わらない。
しかし、五合目くらいになると見たこともない様な景色が目に飛び込んでくる。
そこへ立って初めて見られる景色である。
そして、その場所から一合目に居た時の自分を、二合目に居た時の自分の生き方が見える。
 特に幼かった信仰観、聖書観、そして悟れなかった様々な景色と考え方を思い出す。
 更に上の八合目、九合目と上るなら、もっと違った新しい景色が広がっている。
だが、その山に「てっぺん」など無い。
 頂上は神の国だから。
 

2004年3月7日がスタートだったホーム・ページ・メッセージは、二月末で丸10年となった。
しかし当初は10年先を目指したわけではない。
どこまで牧師としていられるかも分からないのだから、当然ではある。
 文字通り、1週間ずつの積み上げでしかない。
 経って見て分かる場所であるが、これも通過点である。
 人生だって1日の積み重ねである。
どえらい先まで計画することは素晴らしいと思う。
 反面、計画の達成だけが重荷になることだってある。
 教会活動は事業ではないし、営利目的でもない。
そして教会は生きている。
 生きていると表現した意味は、教会に集う人々は多様な考えと個性を持っているので、まとまる時も、またまらない日もあることはやむを得ない。
 長期計画を立てるとするなら、あくまで希望と憶測と、「主の助けあるなら」というところで括った方が良いだろう。
もしかしたら、壮大な計画と思ったものが、実際は更に大きな結果であったりもするだろう。
 神さまの働きは読みきれないし、読みきろうとすること自体傲慢である。
 

HPメッセージにせよ此処から先など分からない。
 10年を越すかも分からないし、今年でちょん切れるかも知れない。
 願わくば90歳までメッセージが語れたら凄いと思うが、果たしてそれでは教会が納得しないだろう。
 老害ぶり蒔くのは良くないし、いつまでもしがみつくのも良くない。
 生きたメッセージと迫れるものなら、年齢など関係ないと思う。
アブラハム、モーセ、カレブ、みんな高齢であっても主に仕えた。
 人生は80から、などと言う事は戯言かも知れないが、せめて信仰のスピリットは年齢を問わず持ち続けたいし、持たせていただきたい、と思う。
 先入観に邪魔されず、かと言って目の前だけに振り回されず、信念と柔軟性を失わない爺さん牧師に成れるかどうかだって、神さまのお力と助けであるから。
 

 

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