■ あなた方は何故生きた方を死人の中に探すのですか? / ルカ24:1~8 (2014-04-20)

今年の二月、親戚の叔母さんが亡くなった。 葬儀会場に流れていた歌は故島倉千代子さんのヒット曲、「人生色々」だった。 聞いているとこの歌こそセレモニー・ホールの葬儀会場では、実にマッチしたテーマソングとも言える歌詞内容だった。 貧しい人も金持ちも、試練の多少に関わらず、人生は本当に様々だ。 正直に生きたけど、さして目立たなかった人生もあるだろう。 また騙されて、踊らされて耐えて生きた人は歌手ご自身だった筈。 だからこそ、彼女の歌声が心に沁みた。

この世の葬儀では復活など語られない。 そんなことは100%あり得ないからだ。 死んだら皆「同じ終わり」である。 つまり、人生死んだら全てがおしまい、なのである。

ところがキリスト教葬儀は違う。 亡くなった御本人の信仰生活云々に関わらず、ぜんぶ天国に行ったのだ。 死んだら天国! それでいいのだろうか、と私など一言言いたい。 しかし、イエスさまが「いいんだよ。」と仰るのだと思う。 私が行く先を決めるわけではない。 イエスさまがお決めになるのだ。

人間誰でも学校でキリストのことを耳にした。 歴史上の人物、偉人伝として学んだ。 そこまでは誰でも信じる。 しかし、「彼のよみがえり」をどれ程の人が真っ正直に信じているのだろう。 中にはクリスチャンでさえ、ましてや牧師でさえ、それを信じていないお方もあると言うから驚きの一言に尽きる。

しかし、よく考えてみよう。 仮に、もし!である。 もし、イエスがよみがえられなかったら、彼に関する記録など一切残っていないのだ。 主がよみがえられたからこそ、四つの福音書が残った。 そして使徒達のめざましい働きがあり、パウロ達の行動と共に手紙が書かれ、当時の信者達が回覧して読んだ。 十字架と主のよみがえりの福音は、イエスがよみがえられたからこそ、信者の信仰の力で世界中に言い伝えられた。 電話もFAXもフェイス・ブックも無い時代、実にスロースピードであったと思う。 しかし、おそらく現代よりもはるかに真実性と確実性を持って人々の心に沁みたのだと思う。 だからこそ、世界中の言葉に訳され、福音は伝播して行った。

仮にイエスのよみがえりがなかったら、新約聖書はこの世に存在しない。 そして教会など一つもない。 聖書的思想、絵画、彫刻、物語、音楽、そして人類の歴史さえも、今とは全く異なるプロセスと結果であった筈だ。 これらは全て、「主イエスのよみがえり」という歴史上、たった一度の出来事から発した事件だった。 天と地がひっくり返ったどころか、天が地と繋がったのだ。 これ程の驚きとショックが私達の信仰の基盤なのである。

私達は今も生きて働き給う方を、眠った様な、死んだ様な心と思いで、礼拝していないだろうか。 ルカ24章5節 「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。」 そう、生きた方に出会いたいと思うなら、生きた信仰に立つ!これしかない。

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