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■ あなたはわたしに従いなさい / ヨハネ21:15~23 (2014-05-11)

May 11, 2014

よみがえられたイエス、そして弟子達はガリラヤ湖の畔で朝のひと時を過ごした。
 畏れと気恥ずかしさ、イエスを裏切ってしまった思いからか、弟子達の口からイエスに掛ける言葉など一切無かった。
そしてイエスはペテロに向かって言われた。
 「ヨハネの子、シモン。あなたはわたしを愛(アガパオー)するか?」
その「愛」とは。人間の限界を超え、気高く、霊的で、無条件の愛である。
 「シモン」とはイエスが付けられた仇名のペテロではなく、ペテロの本名であった。
シモンという人の本心に迫りたいイエスの思いの現れだったのか、と思う。
 

シモンは答えた。
 「はい、私はあなたを愛(フィレオー)します。」
 彼が使った愛とは、人間的で、限界があり、条件付な意味を有するものであった。
イエスは二度、シモンにアガパオーという言葉で問われたが、三度目は違った。
 「シモン、あなたはわたしを愛(フィレオー)するか?」
 

シモンは泣きたい思いであったろう。
 彼は数日前に三度、イエスなど絶対に知らないと言い張ったのである。
それは彼自身の心から出た言葉でもあった。
 勝手に唇が、舌が動いたわけではない。
 無事に生きることを選択した彼自身の言葉だった。
あの晩の情景が今でもしっかりと瞼に焼き付いている。
それは生涯、彼が死ぬまで忘れられない悔いの残る出来事だった。
 彼は言った。
 「先生、私があなたを愛(フィレオー)することを、あなたはご存知ではないですか。」
その言葉の意味は、『私は貴方だけでなく、誰に対してもアガパオー出来ないのです。』であった。
 

イエスは三度「わたしを愛するか?」と、問われたが「わたしを愛しなさい。」とは言われなかった。
 何故なら、イエスは弟子達を既にアガパオー(愛)して来られたからである。
 裏切られても、否定されても変わらないのが「アガパオー」という「愛する」という言葉の意味だからである。
 《今までもそうだったし、これからも同じだ。わたしは永遠にその愛だから》というイエスの思いだったのであろう。
 

 私の36年間の信仰生活の中で、どことなくボンヤリしていたものがあった。
それはイエスという方に向かう私の姿勢というか、視点というか、心でもあった。
 私の信仰は主から直接頂いた「救い」から始まった。
しかし、時として自分の中で自分の義を立てる(律法的)という感情が少なからず働いており、他者の目にとって映り良い生き方を作ってきた節が少なくなかった、ということである。
つまり、主の前にも、他者の前にも、正直に生きていなかった、というわけである。
パウロがガラテヤのクリスチャンに書き送った言葉が、私の心に今更ながら突き刺さった。
ガラテヤ3:2~6
「ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
あなたがたがあれほどのことを経験したのは、むだだったのでしょうか。万が一にもそんなことはないでしょうが。
とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は、あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。」
 

 私は今もってシモンである。
それはキリストの恵を味わいつつも、実際は律法(内と外がチグハグ)の前に生きるパリサイ人的な生き方であったということだ。
 正直に恵を主に感謝し、主に甘え、主に依存し、主に委ねてこそ、血の契約をいただいたクリスチャンではないだろうか。
 

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