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■ 敢えてその狭き道を歩め / ヨハネ10:31~42 (2014-08-24)

August 24, 2014

イエスは言われた。
 「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれである。」(マタイ7:14)
 

ここで言われるいのちとは、生まれ持っている命ではなく、永遠の命である。
 永遠は天地において神の国しかない。
そこに至る命こそ、永遠のいのちである。
この命はこの世で得ることは出来ない。
 努力も金も善行でも得られない。
それはキリストから直にいただくいのちである。
 何故なら、キリストご自身が「永遠のいのち」だからである。
 

 昔、誰かが言った。
 「キリストの門は小さく、その道は狭いと聖書が言っておった。
 確かにそうだった。
 一人の人間が体を横にして入れる程度であるが、痩せた太ったは関係ない。一人の人が有り金とか荷物とか、おまけに自我とか利己主義とか、自己中心主義など、すべてを捨て置いたままにして通らないととても入れない。
しかし、である。
 中へ入って見たら、何と広いものだったか、言葉で言いようが無い程広かった。」
そして、分かったな。「実にキリストの世界は広くて自由だと。」
 

あなたは神を見たことがあるか?
 私は無い。
 御霊なる主を見ることは出来ない。
しかし、神がおられることは事実である。
 神が働いておられることも事実であるし、地上の被造物世界はすべて神が造られたものである。
 

もう一つ、あなたはイエスを見たか?
 敢えて言う。
 私はイエスに出会い、彼と歩んで今日まで来た。
しかし、この目でもって彼の顔は知らないし、その御姿も見てはいない。
でも、私は彼と共にある。
 否、彼が私と共に生きて下さっているのだ。
 

イエスはいわれた。
わたしを見た者は父(神)を見たのである。(ヨハネ14:9)
それは肉眼で見るという意味ではない。
だのに何故、多くのクリスチャン達がイエスご自身に向かわないのか、私には理解できない。
イエスの御名は、お祈りの最後に付け加える程度の人が多い
 

 キリストはたった33年の生涯のためにこの世に降りられたわけではない。
 確かに十字架で殺されるためであった。
そして3日目によみがえられ、40日後に天に帰って行かれた。
ただし、イエスの地上における本当の働きは、そこからであったと思う。
イエスは御霊となって彼を信じる全ての人の内に存在される。
 

 聖霊は単に聖なる霊ではない。
イエスのご人格と品性を持っておられる。
だから私は言う。
イエスと毎日を生きよう。
 私達は彼によって造りかえられるのだと。
 彼が私達の内に生きて下さるからだ。
そしてリバイバルはそこから始まる!
 

 

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