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■アドベントⅢ しるし / ルカ2:8~14

December 14, 2014

「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」とルカの福音書2章が伝える。
そう、誰のためにではない。
 私のために、あなたのために、すべて一人称の存在のためにである。
 自分達、ひとりひとりのための救い主である。
これが神さまの御目である。
 

この自己中心(神を頼りとしない生き方、自分を神とする生き方)の生き方を認め、唯一まことの神を信じて生きよ、と聖書は訴える。
 

あの晩、主の栄光は凄まじいばかりに光り輝き、御子イエスの誕生を近くにいた羊飼い達に知らせた。
 暗い荒野で羊を見張っていた彼らは驚き、そして怪しんだであろう。
そして、その知らせを理解し、大いに喜んだのである。
 

そして今、2014年のクリスマスに私達はどれ程の驚きと喜びをもって迎えるのだろう。
 今年もカレンダーが印刷された通りにクリスマスはやって来た。
 教会の計画の通りにキャンドル・サービスがあり、人々は会堂に集まり、降誕劇を楽しみ、賛美歌を歌い、キャンドルの小さい灯火を見詰める。
そして口々におめでとうと、メリー・クリスマスを言い合い、御子の誕生を静かに、ほんのりと温かく感じて帰って行く。
 大きな驚きも、さしたる喜びもなく、当然の如く、である。
 

榎本保朗師の言葉が耳に痛い。
 『私達は信仰に導かれて以来、一体幾度主の栄光を拝したであろう。驚くばかりの喜びに何度出会ったであろう。いつまで経っても義務や義理の信仰、無感動な習慣的信仰、消極的で及び腰、へっぴり腰の信仰から脱しきれずにおるだろう。
それこそ私達が所詮、神の栄光を拝して行かない生き方だからである。驚きがなくて、どうして驚けよう。喜びがなくてどうして喜べよう。』
 

う~ん、・・・返す言葉が無い。
 実に弱った者である。
 何故か・・・・そうだ、行き詰まっても取り敢えずは生きられるし。。何となく日曜だから教会に行かなくちゃ・・・。
だが、本当に切羽詰ったら、そんな気持ちではいられない筈だ。
 行き詰まらない、切羽詰らない自分とは一体何だろう。
きっと自分で自分が分かっていないからだ。
 否、既にキリストの守りの中で生きていることにさえ気づかないボンクラなのだ。
 

イエスは「あなた方がわたしを選んだのでなく、わたしがあなた方を選んだのである。」とヨハネ15章で言われた。
 更に、選んだだけでなく、「わたしがあなた方を任命した」とある。
 更に任命した理由は、「あなた方が行って実を結び、そのあなた方の実が残る為である。」
 

だが、選ばれた、だけで終っているのが、私達ではないだろうか。
キリストの選びは最後の目的までを含んでいる。
 私という人間を選ばれた主は、この人生を通して私に寄り添い、共に喜び、共に苦しむも、
 必ず残る実を結ばせてくださる。
イエスが一緒だから花が咲き実を結ぶ人生となる。
だからこそ、「あなた方の実のために」なのである。
 

イエスがお生まれになったということは、この目に見えない御霊なる神が、目に見える神になられたのである。
 御使いはそのことを「あなた方のためのしるし」と言われた。
 

リスマス、それは人(御子)を見た日である。
 御子イエスを見たのは当時の人々だけではない。
2千年間の中で数え切れない人々はキリストに出会い、見て、生きたと思う。
イエスは言われた。
 「わたしを見た者は父を見たのである。」
これぞ喜び、これぞ驚きでなくて何だろう。
 70歳、90歳、同じ生きるなら神を見て行く生き方がいい。
 80歳、100歳生きても神を見ない、知らない生き方などしたくない。
 自分で頑張っちゃ駄目だ。
 切羽詰っても、神を信じない生き方は無駄死にでしかない。
 問題は切羽詰らない生き方ではなく、切羽詰ったそこで、キリストに出会うことだ。
 行き詰らない生き方でなく、行き詰った所でキリストの胸に飛び込むことである。
そうでないと、あなたは生涯、神の栄光など見るチャンスは無い。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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