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■ アドベントⅣ 今こそ神は見させ給う / マタイ1章1~21

December 21, 2014

多くの人が聖書読破に挑戦する。
マタイ一章を開き、「さあ、行くぞ」と読み始めて、いきなりガクッと挫ける。
やたらカタカナ名の羅列である。
 

しかし、である。決して羅列だけではない。
 先ず、アブラハムという名前から始まっている。
アダムもいた、ノアもいた。
 何故アブラハムからなのか?
そんなこと、クリスチャンになっていない人に聞いても解ろう筈もないが。
 仮にクリスチャンであったにせよ、ちょっと難しい質問である。
 

イエス・キリストの系図を知らせるためにマタイが伝えたかったこと。
 創造主は人間の中で、初めてアブラハムと契約を結んだのである。
 彼は祝福の基となった。
 人類で初めて神から約束を受け取ったのがアブラハムであった。
 彼と彼の子孫は、神に選ばれて彼らの神の栄光を現すべく、その営みは常に主の前に置かれた。
そして、やがていつの日か彼らの末裔に、罪から贖う約束のメシヤがお生まれになると主はいわれた。
 

神の選び、約束、そして成就へと続く選民の歩み。
しかし、神が考えることと、人が考える道は違う。
その営みは多くの場合、神の道を踏み外し、葛藤と裏切り、欲望と保身的な選択により失敗の連続であった。
だが、神の選びはぶれることなく、やがて間違いなく訪れる約束の成就に向かって行った。
イスラエルがどれほど肉欲と自我の暴走に突き進んだときも、神は方向を変えることはなさらなかった。
 

かの名前の羅列の中に4名の女性が登場する。
その4名以外に女性の名は記されていない。
 先ず、ユダはタマルによってペレツを生んだとある。
 彼女はユダの長子の嫁であるが、ユダは息子の嫁によって跡取りを儲けたのである。
 次にラハブ、彼女はエリコの町の遊女であったが、分けあってイスラエ人の妻に加えられた。
ルツ、彼女はモアブ人であったが、モアブに移り住んだ家族の一人と結婚した。
しかし夫が死んで尚、彼女は姑のナオミに従って故郷を捨て、ベツレヘムにやってきた。
そこでの出会いがナオミと縁戚にあるボアズであり、彼女は彼の嫁となり、オベデを生んだが、オベデのひ孫にダビデが登場する。
ダビデ王は「ウリヤの妻」によってソロモンを生んだ。
ウリヤとはダビデの忠実な家来であったが、ダビデ王に妻を寝取られたばかりか、自分は間接的にダビデに殺された。
 

おどろおどろした人間の営みの中でも、メシヤの到来はそういった血筋から外されることなく、真っ直ぐに突き進む。
 

凡そ約30世代を経て、マリヤの夫ヨセフが生まれ、キリストは処女マリヤから聖霊によって、お生まれになった。
 人間は間違ったが、神は間違いを犯さなかった。
 確かに神は人間の間違いを、良しとはされない。
しかし、創造主は利己的で気儘勝手な人間の営みの中であろうと、ご自身の計画を達成された。
 

ヨセフはマリヤに対して何をしたわけではない。
 神が彼女を選び、受胎告知を彼女とヨセフに為された。
 子の名前まで神が決められた。
 「その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民を罪から救ってくださるからです。」
 @イエスとはヘブル名でヨシュア、意味は『主は救い』。
 

ヨセフに求められたことはただ一つ、神を信じて従う信仰だけだった。
ヨセフ自身、曲がったことの大嫌いな正直な人だった。
しかし、ならばこそ、尚更に道理が通らないことは受け入れられないものである。
そう考えるのが人間の道理だが、彼は違った。
 迷う頭と心の中で苦しんでいたが、夢の中で語られた御使いの言葉を信じた。
 「ダビデの子、ヨセフ。恐れないであなたの妻、マリヤを向かいなさい。その胎に宿っているものは、聖霊によるのです。」(マタイ1:20)
 

彼の様な信仰を誰が持てるだろう。
しかし、信仰そのものは神からの賜物である。
 問題は、信仰の形と色と中味と質に、何を選ぶのかが私達であるということだ。
 更に信仰を生かすか、殺すかも私達である。
 神さまは、それだけを問うておられるのではないだろうかと思う。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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