■ ヨシャパテの道・落とし穴 / 第二歴代誌18:1~8 (2015-02-01)

人生には多くの落とし穴がある。 明らかに見える穴があるが、殆どの落とし穴は見えない場合が多い。 大概、落ちてから気がつくが、常に時既に遅しである。 だから信仰の道は二人で行くのが良い。 つまり相棒だ。 米語で言えばBUDDY(バディ!と発音する)である。 相棒と言えば勿論、彼しかいない。 それはイエスである。 BUDDYなんて俗っぽく馴れ馴れしく言うのは、まったく言外であり失礼と思うが、それ位に彼の傍に気楽に生きたいのである。 当然、イエスが一緒なら人生という道を踏み外すことなど無い。 人生における大事な選択を迷うこともない。 仮に、である。 仮に間違っても彼が共におられるではないか。 一体、何を恐れよう。 権力も人間の能力も恐れはしない。 ひたすら「主の霊に導かれて生きる」(ゼカリヤ4:6)のである。 「逆境の恩寵」という本、徳永のりかね師の人生を読んで率直な感想をもった。 つまり私は自分で自分が恥ずかしくなった、のである。 クリスチャンです、と「ほざいている自分」を見させられたのである。 勿論、主の憐れみ100%のおかげで私はクリスチャンになれたのである。 でも、そういう感情をもったのは、37年の信仰生活で初めてだった。 私が徳永師に見たこと、それは「キリストと生きる人そのもの」の生き様だった。 その生き様を知って、私は自分の生き様を恥ずかしいと思った。 ヨシャパテというユダの王、権力を手中にし、欲しいと思うものは何でも手に入れられる環境と地位にありながら、何故あそこまで主の前に遜れたのか、不思議であった。 彼の時代、前後に登場する王の仲でヨシャパテの信仰を見つけることはない。 当然、人間だから弱さはあった。 しかし、彼は神の前に徹底して謙虚に生き、主を求めた。 弱い自分をさらけ出した。 そして神は彼の弱さの中に「神の栄光」を限界無く注ぎ込まれ、み力を現された。 神はこう語っておられる。 「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる。」 そしてパウロはこう言う。 「私はキリストの力が私を覆うために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。何故なら、私が弱いときにこそ、私は強い(神の力により)からです。」 (以上第二コリント12章より抜粋) 旧約時代、紀元前850年の時代にパウロの如き信仰の勇者がいた。 それがユダの王アサの息子、ヨシャパテだった。 ヨシャパテは21世紀に生きる私達に「神の前に、こうあるべき姿勢」を見せてくれた。

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