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■ ヨシャパテの道・勇気 / 第二歴代誌20:1~13

彼間違いなく弱虫に見えた。 それは何かにつけ直ぐに神に祈り、主に拠り頼んだからだ。 果たして彼は本当に弱かったのか。 傍から見ればそう思えるだろう。 世の側から見ればそう見えるだろう。 しかし、私から見れば彼は勇者である。 実に真の勇者である。 彼とはヨシャパテというユダの国の王である。 私はここで聖書が示す意味と、この世が道理とする違いを学ばされた。 それは「勇気」というものであるが、ヨシャパテの人生を読んで真の勇気を改めて知った。 この世が教える勇気とは、滅多やたらと神頼みに走る人間は弱虫は世捨て人を言う。 だから勇気とは「物事を恐れない強い心、気持ち」を言う。 そして勇気とは「どこまでも自分を信じる」ことである、という。 しかし、聖書が示す勇気とは、何ものよりも先ず主に聞き従う心、主に向かう姿勢である。 実際、これを実践してみるとどうなったか? 何と、自分で頑張ることの方がはるかに容易いのである。 自分中心に生きる人間の本性をつくづく知らされた。 先ず、まことの神を畏れることこそ、人生の幸せのイの一番に大切なことである。 ヨシャパテの凄さは並みの男性の目線をはるかに超えていた。 凡そ権力者に相応しく思えないほど、彼は神の前に立つ人だった。 否、彼こそが民族のリーダーとして最も相応しい器だった。 あのダビデよりも、ソロモンよりも、選民イスラエルの王らしい王だった。 そして彼は、主が語られたことばそのままに行動した。 大概のクリスチャンは聖書の言葉を聴き、感動する。 しかし、それを実行する人は非常に少ない。 だから、聖書の言葉は「理想、思想、ガイドライン」に終ってしまう。 そうではなくて現実世界の中で神のことばが適用、対応、実行されなければ本当のところ、神の力は半減である。 『神のことばは生きていて力があり、諸刃の剣よりも鋭くて、魂と霊、関節と骨髄さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することが出来ます。』へブル4:12 私達がこの世に生きる中で、神のことばが実行されるために、どれ程の決断と勇気が必要なのか、体験者のみぞ知るである。そのとき、人は「己の我」の強さと「世というの向かい風」の強さを再認識するであろう。 ああ、神の言葉はこの世に於いて、邪魔する敵は計るに知れないのだ。 しかし、最後には神が勝つのである。 せめてキリスト者だけは、そのことを腹に叩き込むべきである。 イザヤ51章6節 目を天に上げよ。また下の地を見よ。 天は煙のように散りうせ、地も衣のように古びて、その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。 しかし、わたしの救いはとこしえに続き、わたしの義はくじけないからだ。

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