■ 晴天の霹靂 / マタイ16:6~26

小さな雲一つさえ無い青空に突然の雷が鳴った。 仮にそういう状況があったとすれば、それを「晴天に霹靂」というらしい。 あり得ないことが突然起こった場面。 「世の人々は、私を何と呼んでいるだろう?」 弟子の誰かが答えた後で、イエスはペテロを見やった。 「あなた方は私を何と言う」 ペテロは間髪を入れず言った。 「あなたこそ、生ける神の子、キリストです!」 私は思う、すべてを予知されるイエスにとって、晴天の霹靂と思えるペテロの応答だった。 その後のイエスの言葉からして、珍しく高揚された主の霊の動揺を感じる。 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。』 主イエスの言葉を聞いたペテロも神経が高ぶった。 まるで自分を失ったかの様に、イエスに対し上から目線で説教をしてしまったのである。 挙句の果てにイエスから「下がれ、サタン!」といわれた。 ペテロはその短い時間の中で、遥かな高嶺から谷底へ突き落とされた様な精神状態を味わった。 先日、47年ぶりに昔の遊び仲間が私の事務所を訪れた。 彼の記憶にあるのは、47年前の私だけである。 私は彼に、今の私の立場と役割、仕事と主への奉仕(牧師)を説明した。 そのとき彼の顔から目玉が飛び出るかと思えるほどに驚いた。 そしてどうしても、牧師としての今の私と、47年前の私がつながらないと席を立つまで言っていた。 文字通り、晴天の霹靂であったろう。 一方、私とて生きてきた自分の足跡を振り返ると、自分でも笑ってしまうほどに可笑しいのである。感想は一言、「ありえない・・・・」だけ。 彼の頭が混濁するほどに、私がひどかったということであろう。 主の前に生きることは実にユニークで楽しくて不思議だ。 勿論、辛い日もあれば、悔やむ日もある。 だが、世の人が味わえない場面など半端なくやってくる。 それは、私達の生ける神はAWESOME GOD(アッサム・ガッド)、つまり物凄い!神なのだ。 人間一人くらい、御口の一息フーッ程度で造り変えられる方である。 但し、私達がそれを信じられなければ、何の変化も起こらない。 いつまで経っても「生まれたまんまの肉なる者」でしかない。 アメイジング・グレイスを歌って聞いて感動するが、その先に何もなければ、単なる歌に過ぎない。八代亜紀さんの舟歌だってそれくらいの感動なら与えられる。 奴隷商人だったジョン・ニュートンが嵐の中で死ぬ思いに出くわし、思わず「神よ助け給え」と叫んだ瞬間、我が身と心の罪を見させられ、キリストの愛と赦しに出会い造りかえられた。 人を売買し、金儲けだけに奔走していた彼が、幼い頃に母から聞いたキリストに帰り、心に平安が訪れ、書いた歌がアメイジング・グレイスである。 我らの神はAwesome God (アッサム ガッド) つまり、ものすごい神なのである。 我が手で、我が心で、我が胸で受け止めずして、どこで受け止めるのか。 その方を知った、頭で知ったのとは全く違うのである。 考えが変われば生き方が変わる。生き方が変われば奉仕が変わる。奉仕が変われば周囲が変わる。 イの一番に変わるべきは、他の人ではない、自分である。 青空に雷の音を聞きたいと思わないか。 神のみ声を遮るのは、他の誰かではない。 実に自分の頭である。

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