■ 私はバラバ / マタイ27:1~26

キリストの受難に際し、大きな役目に関わった三人の男達。 先ず、イエスを銀貨30枚で役人に売ったイスカリオテのユダ。 彼は後世、その名を不名誉な者の代表として歴史に名をにとどめた。 彼自身もイエスに対する強烈な思い込みの意味は分からない。 しかし、ユダの勝手にイメージした方向にイエスが行かないことを悟ったとき、ユダはイエスを裏切った。 しかし、彼の人生でそのこと自体は最も大きな選択であり、決定する出来事であったが、イエスが捕らえられたとき、即座に金を返しに行き、首を吊っている。 生来の大悪人ではなく、姑息で狡猾な金好きな男だけだったのだろうか。 次にローマ総督ピラト。 彼が最も恐れることは、ローマの占領地内で起こる民族による暴動だった。 特にユダヤ人という特異性には手を焼いたと思う。 ピラトがその力量を買われての配置だったと思うが、政治力が一番問われるのがユダヤの支配だった。 彼にはイエスを殺す目的も理由も無い。 かえってイエスに対しては好感さえ持っていた。 彼の妻の助言もあり彼は群集の前で苦しんでいる。 イエスを殺すに至るまで、四度も群集に翻意するように呼びかけていた。 次にバラバ。 暴動と人殺しの罪で囚人となっていた。 ピラトにしてみれば、バラバを磔にしたかった筈であるが、皮肉にもユダヤ人はバラバを好んでいた。ローマに対する反旗のシンボルであったろうか。 直接的にイエスを殺したのはユダヤ人である。 しかし、神の人類救済計画に於いて考えれるなら、人類すべての罪がキリストを殺害したのである。 パウロの言葉が心に痛く響く。 「私はキリストと共に十字架につけられました。」 パウロが己の罪を知れば知るほどに、キリストの死が我が身の為だったことを知ったのである。 囚人バラバはイエスが身代わりになったため解放された。 ローマ5:8『しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』 バラバとイエスの接点は見当たらない。 バラバ自身、自分の罪など爪の垢ほども認識していない。 確かに私達は暴動も人殺しもしていない。 だが、マタイ5章を熟読するなら、私達はあきらかに罪びとである。 マタイ23章を読むなら、私達はクリスチャンというよりもパリサイ人ではないかと思うばかりだ。 イエスが歯に衣着せず、辛らつに非難したのはパリサイ人であったが、クリスチャンである私達は果たして枠外であろうか。 バラバはイエスを知らなかったが私達クリスチャンはイエスを知っている。 イエスが叫ばれた「父よ、彼らは自分で何をしているか分からないのです。」で、あろうか。 果たしてバラバの方がましだったのではないか。 私はバラバか・・・私こそがバラバか。

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