■ 神の御手にこねられて / マタイ12:28~33

「もし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなた方のところに来ているのです。」[マタイ12:28]

果たして私の以前は、悪霊どもの巣窟だった。 笑い話でもオカルト話でもない。事実である。 罪という言葉も内容も理解出来なかった。 自由という言葉さえも理解していなかった。 であるなら私たちはサタンの僕、端女であったのか。。。。 その通りである。

そして私は相手が誰であろうと、謝る人間ではなかった。 謝るくらいなら腹を切る、位だと思っていた。 この部分では自分でも呆れている。 つまり傲慢なのか、自尊心が高すぎるのか、真実を認めたくないのか。 だが、こんな輩のところにも、イエスは立ち寄って下さった。 1978年3月12日のこと。 あれからイエスさまはずっと帰らないで私のもとに居残ってくださった。 たまにはお帰りになればいいのにと、幾度か思ったこともあるけれど彼はずっと居残ってくれた。 神の国は限りなく我慢強く寛容である。

間違いなくイエスによって神の国が私の中に来た。 真の赦しとは? 和解とは? アガペーとは? 神への帰属とは? まことの平安とは? 自由とは? すべて神の国の到来によって教え悟らされた。

イエスは雪よりも白い心(罪なく完全な)の持ち主でおられる。 その方がいわれた。 「わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしと共に集めない者は散らす者です。」マタイ12:30 おそらく多くのクリスチャンでさえ、そのまま受け入れがたい言葉かも知れない。 以前の私にとって、かなりの抵抗があった。 理屈はわかるけど、何でそこまで言うの?てな感じだった。 だが、ここ数年は素直に「そうです、主よ」と言えるようになった。 ありがたいことである。

「だからわたしはあなた方に言う。人はどんな罪も冒涜も赦していただける。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されない。また人の子に逆らうことばを口にする者でも赦される。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、誰であっても、この世であろうと次に来る世であろうと赦されない。」(マタイ12:21~22)

新約聖書で一番厳しい言葉だと思いつつ37年間、眺めては読み飛ばして来た。 「よう言ってくれるねぇ・・・イエスさま」と内心思いつつ。 主に向かって罪の告白をし、悔い改め、赦しをいただく。 これが人間の罪に対する神の赦しの道であると信じて来た。 十字架の下に遜り、イエスが贖って下さったことを信じるなら、どんな罪でも赦される。 と、信じて来たのに・・・ 赦されない? なんだろう、この言葉は。

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