■ This is HER story
人類が地上に暮らし始め、そして有史以来、女性の中で誰一人として体験したことのないことをイエスの母、マリヤは体験した。 それは聖霊によって彼女の胎に赤子を宿したということである。 彼女は、その人生において誰よりも悩んだであろう。 それは相談相手となる者など誰一人として、いなかったから。 つまり彼女の身に起こったことを理解する人は誰もいなかった。
非常に有名な聖句がある。 第一コリント1章13節 「あなた方のあった試練はみな、人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を耐えることが出来ないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることが出来るように、試練と共に脱出の道を備えて下さいます。」
この聖句。。。。 新約聖書が生まれて今日まで、何億人の人々が慰められ励まされたことであろうか。 今からだって人類ある限り、この聖書のことばは人々を助け続ける。 だが、マリヤにとってのみ、この言葉は当て嵌まらない。 「みな人の知らないような・・」そう、マリヤの試練は未曽有であった。
彼女の人生は神に選ばれたところから始まり、イエスの十字架の死まで続いた。 一つずつ、マリヤの苦しみと悩みの足跡を辿ってみた。 先ず、イエスが生まれたとき。 東方の博士たちはイエスの誕生を喜び、贈り物を携えて来て供えた。 羊飼いたちは御使いの知らせを聞き、駆け付けて御子を拝した。 そのとき、マリヤは何を思ったか。 聖書は言う『しかし、マリヤはこれらのことをすべて、心に納めて思いを巡らしていた。』ルカ2:19。
イエスが12歳になられたとき、両親は彼を連れナザレからエルサレムに来て、祭り見物をしている。 ところがイエスは両親から離れ、エルサレム神殿にいた。 両親は彼を見失い、探したが見つからない。 多分、先に帰ったものと思い、一日の道のりを行ったが、イエスは見つからなかった。 仕方なくエルサレムに引き返してみると、イエスは宮で教師達の真ん中に座って、皆と討論していた。 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたは何故こんなことをしたのです。見なさい、父上も私も心配してあなたを捜しまわったのです。」 するとイエスは両親に言われた。 「どうして私をお捜しになったのですか?わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」 両親には、そのことばの意味がわからなかった。 そしてイエスは両親と共にナザレに帰って行った。 ここで次の聖句を覚えたい。 『母はこれらのことをみな、心に留めておいた。』 そう、マリヤに出来たことはそれだけだった。 他に何も為し得なかったからだ。
イエスが公生涯に入られる前から、母にとって息子は何とも不思議だった。 だが、マリヤは息子の未来に希望を捨てなかったと思う。 マリヤが創造主を称える賛歌とも言える、ルカの福音書1章46節からの言葉は、どうなるか分からない未来に大きな夢と希望が奏でられている。 不安は尽きなかったであろう。 心配は数知れずであっても、僅かでもそれを補う材料など無かった。 今日の一日を主に感謝して生きること、すべて神の御旨にゆだねて生きること。 母の心は神への祈りだけが支えだったであろう。
カナの結婚式の日。 祝宴の陣頭指揮を頼まれたマリヤが思わずイエスに向かって呟いた。 「葡萄酒がありません。」 イエスが答えられた「あなたはわたしと何の関係があるでしょう。女の方。わたしの時は未だ来ていません。」 母は手伝いの者に言った。「あの方の言われることを何でもして上げてください。」 兄弟姉妹、この母と息子の会話をどう感じられるだろう?
十字架上の息子の痛みと苦しみを、母マリヤが嗚咽しながら見上げている。 マリヤのゆがんだ悲痛な顔は、まさに肉親のそれであったろう。 なぜ、私の胎を痛めた息子がこんな目にあっているのか。 昔からそうだった。 今だって分からない。 彼はこのために生まれたの? 神はこのために私に生ませたの?
イエスは苦しみのさなか、母とそばに立っている愛弟子を見やりながらいわれた。 「女の方、そこにあなたの息子がいます。」 弟子に向かっていわれた。 「そこにあなたの母がいます。」 その時から、この弟子はマリヤを引き取って暮らした。 息子が一番気がかりだったこと、それがマリヤに残された人生という時間だった。 そしてイエスは息をひき取られた。
思えばマリヤの34年間は、分からないことだらけだった。 納得できたことなどなかったであろう。 せめて普通の、普通の母と子でいられたら・・・どんなに良かったか。
平安だった時間といえるのは、赤子のイエスを世話した昔の日々であったろう。 今、すべてが閉じた。 分からないままに・・・・すべてが終わった。
だが、その三日後の朝だ。 遠い昔に神を称えたマリヤの賛歌は遂に現実となった。 全人類に鳴り響く喜びの鐘の音となって。 「我が霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。 主はこの卑しいはしために目を留めて下さったからです。 ほんとうに、これから後、どの時代の人々も私を幸せ者と思うでしょう。」 これはマリヤのものがたりである。 だが!実話である。