■ 一縷の望み / ヨナ書3:10~4:11

藤井聡太君、14歳2か月で将棋の四段となり、はれてプロ資格を得て棋士となった。 天才より上の「大天才」だと、加藤一二三、九段が言っておられた。 一体、何手先まで読むのだろう。 いつの日か最高峰の九段となり、名人位に就く日も来るだろう。 縁台将棋が関の山の私にとって想像出来ない、異次元の世界を歩んでいる。 私とて子供の頃、将棋を覚えたが、目の前の一手しか読めないから、常に出たとこ勝負である。 でも、将棋の駒から人生を学ぶことは幾らでもある。 「歩」という駒は、数は多いが頼りない兵隊だと当時は思った。 一コマしか前に進めないし、大概は敵が責める弾除け程度の任務である。 だが敵陣に入った途端に、歩は「金」に成る。 決して馬鹿にしてはいけない「足軽」なのだ。 もう一つ、チェスと違って将棋の駒は取っても単なる捕虜で終わらない。 こちらの手に渡れば、頼もしい味方になって戦う助っ人だ。 誰が考えたか、色々な決まりや妙味があって、飽きないゲームである。 クリスチャンにせよ生まれたてでは足軽にも成れない赤ん坊である。 だが、聖書の言葉という乳を飲み、おむつを替えて世話してもらえば、いつか花が咲き実もなるのだ。 「歩」の如き存在でも、いつかは敵の王将の首を取る力さえ持つ。 足軽だって聖書の言葉に従って育てば、いつか立派なキリストの兵士になれる。 キリストに育てられ、キリストに生き、キリストという名人位に動かしていただいて生かされたい。 ヨナ、愛すべき存在である。 彼の自国を思う熱い一面は当然と言えば当然であるが、短絡的であり自分に正直な面は中々憎めない男である。 帝国アッシリヤの首都、12万人が住むニネベの町はヨナの宣教によって悔い改めた。 「あと40日すると、ニネベは神によって滅ぼされる。」 ヨナが町中巡って呼ばわった結果、ニネベは王から家畜に至るまで罪を悔い改め、荒布を着て灰の中に座った。 すると、それをご覧になった主は、その町を滅ぼすことを思い直された。 ヨナはやりきれなかった。 彼が予想した通り、ニネベはヨナの宣教で滅びを免れたのだ・・・ ヨナは考える程に怒りにたぎり、そして主に申し上げた。 「主よ、だから私はタルシシュへ逃げたのです。私がニネベに行って宣教すれば、きっとあなたはこの町を助けるだろうと知っていました。自国の敵である危険な国を助ける預言者がどこの国にいますか?」 主は応えられた。「ヨナ、あなたはそれを当然のことの様に怒るのか」 ヨナは町はずれに仮小屋を作り、日陰を得てニネベの町がどうなるか見極めようと待った。 神は「とうごま」(蓖麻子油が取れる草)を生やすと、それは見る見る成長し、大きな葉はヨナにとって居心地良い日陰となった。 ヨナは大いに喜んだ。 翌日、夜明け前に神は一匹の小さな虫を備えた。 虫はとうごまの茎を噛んだので、瞬時に枯れてしまった。 太陽が昇り、焼け付くような日差しに「ああ、私は生きているより死んだ方がましです。」と嘆いた。 一般的に見れば、願うとおり、思ったとおり行かないのが人生だと思う。 だのに私達はそれを一向に悟ろうとしない。 誰だって、自分の思ったとおりの毎日が生きられれば幸せだと思うだろう。 しかし、そんな日々なんて中々無いし、続かないものだ、と思うが良い。 それを理解出来ないから感謝の心を忘れる。 そして無闇に人を傷つけたくなる。 人間社会とは個の願望が偏る程に、我儘で理解出来ない事件が増える。 ヨナは自国の平和を求めた。 平和を脅かす敵国は論外なのである。 だが、一歩引き下がって考えれば、どこの国びとも自国を愛しているのだ。 それぞれは強い愛国心を持っている。 そして創造主はすべての国民を慈しんでおられる。 愛国心が強ければ強い人ほど、他国の民の思いを理解する必要がある。 ヨナ書の最後、旧約聖書にしてはおどろく言葉がある。 「主は仰せられた。 あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこの「とうごま」を惜しんでいる。 まして、わたしは、この大きな町、ニネベを惜しまないでいられようか。そこには右も左もわきまえない12万以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」 神を知っているから優れた人なのではない。 神に従うことこそ人の務めなのである。
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