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■ イエスが一番 / ルカ19:1~10

September 25, 2016

キリスト教会、様々な取り組みの中で一番の試練は献金のお願いや催促であろうか。
信徒側も嬉しく感じている者は多くはないと思う。
本当は自分の信仰に対するチャレンジであるのだが。
人々からすれば口が裂けても「お金が一番」とは言えないものであるし、思わず我が信仰
の不甲斐なさを見させられてしまう時である。

だから私は常々言う。
あなたの神は「金か?神か?」
正直に言えばいいのだ。
「私は金が一番です」と。
後付けになってもいいから、いつか近い日にイエスが一番ですと言える者になりたい、はどうだろう。
ここには前向きもあり、未来志向もあるではないか。
もし、そうでないなら、「イエスが一番です」と言うべし、であると思わないだろうか。

暫く前に面白いギャグを聞いた。
アメリカの或る教会で、新会堂建設の取り組み真最中のこと。
多額の会堂建設費に対して、牧師は教会を励ましたかったである。
朝の礼拝で彼はこう切り出した。
「皆さん、私はグッドニュースを持って来ました。実は、私たちの会堂建設費用は既に満額満たされました!」
会衆は喜びと安堵の気持ちからか、拍手をする者も幾人かいた。
また狐に鼻をつままれた様な顔つきの信徒もいたが、牧師は平然としていて笑顔だった。

少し間を置いて、牧師はもう一度気を取り直したかの様に言った。
「実は・・・バッドニュースもあるのです。でも、そのお金は未だ皆さんの銀行口座にあるのです。」
笑うに笑えない、何とも言えない空気が礼拝堂を満たした。
人間、あまりに生々しい場面に置からである。

カネは大切である。
この世を支配しているのは人間ではなく、カネであると思う。
結局、カネが世界経済を回している。
人は金に支配されているのだ。

エリコの町にザアカイと言う取税人がいた。
通行税、人頭税などの税金をかき集めて、ローマ政府に納める仕事であったが、彼らは集めた中から適当にピンハネして懐に入れていたらしい。
だから、それを知っている納税者達は、忌々しい思いで取税人らを毛嫌いしていた。
そして大体の取税人が金持ちであった。
ローマの犬如きの嫌悪感と蔑視の目で取税人を見ていたのだろう。
皮肉なことにザアカイと言う名の意味は「義人」(正しい人)である。

或る日のこと、この町をイエスが通り掛かられた。
大勢の町びとがイエスを取り囲み、後をついて行く。
今も一年中ブーゲンビリヤが咲き乱れる砂漠の大きなオアシスの町。これがエリコである。
ザアカイは何とかしてイエスを一目見たいと思ったが、群衆が取り巻いているイエスのお顔は中々見えない。
背の低いザアカイは人々の足の間からでもと思い、潜り込もうとするが群衆はこの時とばかり足を踏ん張って、ザアカイを入れなかった。
諦めたザアカイがふと見上げると、ちょうど道の脇に手頃な「イチジク桑」の木があり、枝は道の方にせり出していた。
彼は木に飛びつくと、するすると登り、葉の間からイエスを見下ろした。

そのときイエスは木の上を見上げ、ザアカイに向かって叫ばれた。
「ザアカイ!急いで降りて来なさい。今日はあなたの家に泊まることにしてあるから。」

ザアカイの人生で、これほど親しく、気安く名前を呼ばれたことなど無かった。
取税人のザアカイ、ローマの犬のザアカイ、税金泥棒のザアカイ、チビのザアカイ。
どれもこれもザアカイの嫌いな呼び名であった。
しかし、あながち間違ってはいなかった。

彼の人生は寂しいものだった。
彼を信頼する人などいなかった。
人々は彼の後姿に向かって悪態をついた。
ザアカイにとって信頼できるものは、「カネ」だけだった。
(そうだ、カネは裏切らない。悪態もつかないし、俺を馬鹿にもしない。)

だが、「この方」だけは違った。
(イエスという方は、俺の名をじかに呼んでくれた。俺の家にさえ寄りたい、と言ってくれている。)
嬉しかった。
躊躇せずザアカイは木から降りると、大喜びでイエスを迎えた。

理由はどうでもいい。
イエスと一緒だと、嬉しくて自由になれる。
イエスのお顔を見ているだけで、気兼ねも心配もメンツもすっ飛んだ。
(今まではカネに縛られていたけれど、一番大切な宝を俺は知ったんだ!)

ザアカイはイエスに言った。
「主よ、私の財産の半分を貧しい人たちに施します。それから、皆から騙し取った物は四倍にして返します。」

この日のイエスのお顔を想像してみた。
木のザアカイを見上げたとき、イエスは輝く笑顔でザアカイの名を呼ばれたであろう。
ザアカイの告白を聞いたとき、主は笑みを浮かべ、ザアカイをご覧になり、頷いておられたのであろう。

主は人々に向かって大声で言われた。
「今日、救いがこの家に来た。この人もアブラハムの子なのだから。」
(アブラハムの子?)ザアカイが生まれて今日という日まで、思いもしなかった言葉だった。
(俺が?・・・アブラハムの子、そうだったんだ。嬉しい。。。)
「ひとの子は失われた人を捜して救うために来たのです!」イエスの声がザアカイの家になり響いた。

兄弟姉妹、あなたは自分の名をイエスに呼ばれたことがあるだろうか?
救い主イエスが、名指しであなたを呼ばれたと確信されているだろうか?
救われた方であるなら、そのことを再認識して欲しい。
神のひとり子は、そのために世に来られたのだから。
教会ではついつい「私達」と言ってしまうが、本来は「私」であり「私とイエス」なのだ。
たとい今、どんな人生に置かれていようと、救い主は「あなたというひとり」を心配しておられる。
主はあなたを探して、あなたと出会うために、世に来られ、そしてあなたの罪を全部背負って、カルバリの丘の露となられた。
そして、彼は三日目によみがえられた!
だから、私たちは21世紀の今でも、彼を心にお迎えすれば救われるのである。
 

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