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■ イエスの教会 / マルコ4:35~41

June 14, 2015

イエスの弟子達は各々、直接的に、個人的にイエスから呼び出されたのである。
誰一人、自ら志願した者はいない、と思う。
そのことは私達クリスチャンとて同様である。
確かに信仰に入ったプロセスと環境、状況にそれぞれ違いはあるだろうが、後から振り返ってみれば、やはりイエスから直接的に呼ばれたのである。
だからクリスチャンになれたのである。
仮に、である。
仮にあなたと彼との個人的関係が成り立っていないとすれば、はっきり言おう。
あなたはクリスチャンではない。

そして私達は罪の赦しをいただいた。
我が身の罪の贖いを彼がしてくださった。
これらはすべて、あなたとイエスが個人的に出会ったからである。
であるから、信仰生活とはイエスとの個人的関係の下にある。
私達はもっともっとこのイエスを知りたいし、彼の近くに居たいものだ。
と、思いませんか?

ガリラヤ湖面は海抜マイナス213mと言われており、地中海特有の熱い空気は谷底に出来た様な湖面に吹き下し、時として激しい突風が巻き起こる。
それは実に凄まじい風であり、波は逆立って小舟をさえ呑み込むのである。

ある日の夕方、主イエスは弟子達に言われた。
「さあ、向こう岸へ渡ろう。」
弟子達の多くがガリラヤ湖で働く漁師であった。
この湖で漁師として生計を為し、湖のすべてを弁えた弟子達にとって、イエスの言葉は首を傾げるものであったか、もしくは不安を抱いたかも知れない。
そして案の定、不安は的中した。
急に吹き始めた風は大波を巻き起こし、小舟に襲いかかり、弟子達は死ぬ間際かと思った。

必死になって手で水を救い出していた弟子達がイエスを見ると、艫の方で枕をして眠っておられた。
誰かがイエスに向かって怒声を張り上げた。
「先生、我々が死んでも、何とも思われないのですか!」
そしてイエスはむっくり起き上がられると、波と風を叱りつけられた。
すると湖は大凪になった。
弟子達は心底驚いたと同時に、イエスの本性が益々分からなくなった。

人生に起こるのは摩訶不思議な出来事、理不尽な出来事、恐ろしい出来事である。
そして私達は、その瞬間に神もイエスも信仰さえも見失う。
仮にそうでなくとも、日々の生活においてさえイエスを余りにも簡単に見失う。
かの弟子達と比較して私達と大差は無い。
イエスは弟子達に言われた。
「どうして、そんなに怖がるのか。信仰がないのはどうしたことか?」

そう、咄嗟の出来事が起こった瞬間、私達は信仰など完璧に見失うのである。
本当に信仰を持っていたのか、とさえ後になって悔やむ程である。
目の前の出来事で頭の中は全て占領され真っ白け、である。
つまり、イエスが傍らにおられることさえ忘れる位、自分を見失うのである。
大切なことは、眠っておられようと、起きておられようと、イエスが此処におられることである。

教会にも突風や大波はやって来る。
そして教会はイエスを見失う。
笑い話ではない。教会だから見失うのである。
するとどうなるか?
キリスト教会なのに、キリストが居ない教会。
それは既にキリストの教会ではない。
単なる人間の集団である。
それこそが、「あなた方の熱心がわたしを食い尽くす。」状態である(ヨハネ2:17節)。
忘れてはならない。
キリスト信仰とは、私が、あなたが、教会が頑張ってやっているのではない。
日々、常に、イエスに祈られて、させて貰っているのである。
「わたしはあなたの信仰がなくならないように祈った」(ルカ22:32)。
明日は我が身、を心に刻もう。

さて!
あなたの教会にイエスがおられますか?
あなたの人生にイエスがおられますか?
あなたの一日にイエスがおられますか?
あなたの礼拝に、祈り会に、イエスがおられますか?
キリスト教のキリスト教たる所以は其処に彼がおられるからだ。

 

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