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■盗まれたイエス/マタイ28:1~20

イエスが殺され墓に葬られて三日目の朝、婦人たちは遺体に香油を塗るため暗いうちに家を出た。

墓についたころ日が昇り始めた。

見ると墓の蓋石は横に転がしてあり、中にイエスの遺体はなく、空っぽだった。

だが、その事前に番兵たちはそのことを知り、祭司長に申し出ていた。

「イエスの遺体が見当たらないのです!」それを聞いた祭司長は長老たちを呼び寄せ、多額の金を渡して言った。

「よいか、このことが総督の耳に入っても、こう伝えるのだ。『我々が眠っている間に、弟子達が来てイエスの体を盗んで行きました。』

そしてこの話がユダヤ人に広まったと、マタイ福音書は語る。

 

だが、彼らの虚言よりも、はるかに嘘っぽく思えるのは、「イエスがよみがえった」という噂だろうと思う。

遺体であるが故、イエスが盗まれたという話が出来上がる。

仮に生きておられるイエスだとしたら、「盗まれる」ことなど有り得ない。

だが、多くのクリスチャン達の心から、生けるイエスが盗まれていないだろうか?

神を信じるクリスチャンたちの中で、イエスが盗まれている?

そんな馬鹿な話が、馬鹿な話で終わらない現実が悲しい。

 

イエスを信じたので救われた。

であるのに、知らぬ間にイエスを盗まれてしまい、それも知らないままに教会生活をしていることだってある。

盗まれるなんて有り得ないのだが、自分の中でイエスを意識しないで教会生活をしていると、結果的にそうなるという例え話である。

神を信じていても、キリストの臨在など意に介さないということか。

それでクリスチャンですか?と問いたい。

 

思えば、私の人生は全くその通りの時があった。

つまり、イエスを意識せずともクリスチャンらしくは出来るし、教会そのものが神の如くになっていることだってある。

また、問題が大きくなり、見えるのは人間と問題ばかりで、視界からイエスが消えていたなんてしょっちゅうだった。

 

復活のイエスが11人の弟子の前に立たれたとき、弟子の幾人かはイエスを疑った(:17節)。

イエスはそれをご存じであったが、イエスの視線は既に未来を見ておられた。

この場面、考えさせられる箇所である。

折角選ばれた11人なのに、イエスの甦りが信じられない者達がいた。

しかし、格別不思議ではないと思う。

現在でも「たまに」そういうクリスチャンが少なからずいる。

所詮人間だからとは思うが、其処をずらしてキリスト信仰は存在の仕様が無いと思う。

弟子達にとって更なる試練であったかもしれない。

だが、「信じる」ということは、「頭で納得したから信じる」という定義は無いと思う。

私自身、信じるとは腹で決めること、と常に自分に言い続けている。

頭だの心だので、通じないのが聖書、神、キリストではないだろうか。

 

私が牧師となって8か月、この咽喉が異常をきたした。

完全に発声が不可能となったが、マイクを握りながらひそひそ話の様なメッセージをした。

原因はポリープだったが、数週後には潰れており、手の施しようがなかった。

一年ほど治療の道を探ったが、結局治せなかった。

メッセージを語るごとに、数日間の鈍痛がやって来て悩みとストレスになった。

治療の道を諦めかけたのは、いつもと変わらぬ医師の言葉だった。

「なるべく喋らないようにしてください。」

 

そこから二年程は行ったり来たりの迷い道だった。

ずっと以前、主に導かれ背を押され、手を引かれた挙句の果てに、しぶしぶ決心して神学校へ五年間通った。

それはキリストからの「召命」のことばと、御霊の導きに勝てなかったからだ。

であるのに、働き始めて8カ月でこの状況とは、主がされることの理解が出来なかった。

招かれて、8カ月で、このざまですか?

いっそのこと辞めようか・・・

 

長い日々、悩み続けた。

そして腹を括った。

「この痛みと症状が消えなくとも続けます。この弱さと痛みを抱えながら、福音を語ります。」

『わたしのちからは弱さの中に完全に現れる』(第二コリント12:9)

信じます、この道を歩みますから、私を支えて下さい、と祈った。

『わたしの恵みはあなたに十分である』を心で唱えながら、アーメンと飲めない盃を飲み込んだ。

 

キリストを信じて生きる人生にも嵐もあれば台風も来る。

目の前の問題や難問はどんな人の上にも訪れる。

半端ないストレスと不安が襲う。

しかし、わたし(神)の恵みは、既に充分にキリスト者の上に置かれているではないか。

あなたの救いとなったキリストのよみがえりこそ、最大最高の価値ある神からの贈り物である。これさえあれば、よしである。これさえ手放なさなければ、よしである。

どうして良いかが分からないときは、取り敢えず前に進もう。

もしかして、その時こそ、イエスが一番近くにおられるかも知れないからだ。

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