■キシュの子、サウル/第一サムエル9:1~16
「遠い昔、イスラエルに王が存在しなかった時代、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」士師記21:25
この様な時代は既に幕が下りる時間帯に入っていた。
それが士師記という時間帯であった。
ヤハウェが見つけだし、拾い上げ、育てたアブラハム、イサク、ヤコブ、そして彼らの子孫たちは時代時代の中でヤハウェが備えられたリーダー、裁き人(士師)らによって約束の地カナンにたどりついた。
しかし、その地で民族をたばねることは至難のわざだった。
先ず、彼らはカナンの土着の偶像礼拝に心を奪われた。
そのため、神はイスラエルの敵を越し、イスラエルを試された。
カナンに広がって住む彼らにとって、強力なカリスマ性を持ったリーダーだけでは統治は不可能だった。
国として立つには民の中に組織が構成され、民の統制が取れる様に幾重にも重なる立場と器が必要だった。
仮に小さくはあっても国は一夜にして成り立つことは不可能である。
家族から族長、部族から民族へと膨れ上がったイスラエルは、今やカナンという地域に置いて国となるステージへの過渡期でもあった。
「周囲の国々のように我々も王が欲しい」当然のことであったが、イスラエルは他の国とは違った。
彼らに必要なのは王ではなく、先ず神であった。
そして王が立てられるとすれば、王は彼の上におられる神を拝し、神の導きと言葉によって国の行き先を神に委ねて行かねばならない。
仮に経済的に、軍事的に危機や不安が訪れるにせよ、王は神の下に生きねばならない。
国民が王に対し不満を積み上げようと、王は神の臨在と預言によって、民を従わせねばならない。それは民主主義というより神権政治であった。
王は常にヤハウェを見上げねばならない。
「初めに神ありき国」に徹底すべきがイスラエルだった。
21世紀、同様なことが教会に言える。
同様なことがキリスト者に対して言える。
「初めに神ありき」はすべてのクリスチャンが強い意識をもって生きるべき指針であると思う。
イスラエルだけに関わらず、人間そのものは皆すべて、自分の目に正しいと思えることをして生きて来た。
それは人間の本能であろうか?
かも知れない。
自然界の本能はすべて創造主の意図に基づいている。
人間だけがこの世で、神の意図ではなく、自分のしたいことをしている。
士師の時代、イスラエルは神よりも、預言者(神の代弁者)よりも、王を求めた。
預言者サムエルは大いに心を痛めた。
そして神は更に心を痛められた。
神の民は見えない神ではなく、目に見える王、この世の王を求めた。
この世に生きること優先すれば、当然ながらこの世の王が必要となる。
起こるべくして起こった問題だった。
だが、イスラエルはそのために生まれた民族ではなかった。
彼らは神だけに、ヤハウェだけに仕えるべくして、神の嗣業として神の御手によって育てられた民だった。
彼らは鷲の翼に乗せられ守られて、奴隷から約束の民へ、砂漠から荒野の旅を渡りくぐって来た。
咽喉が渇いても、腹がひもじくても、神は母の胸に包むが如く、神は父の逞しさの如く、ヤコブの子孫たちを育てられた。
ヤハウェは地上のどの民よりもイスラエルを愛された。
時に厳しく、時に優しく、ヤハウェは彼らを育くまれた。
それは永遠の未来までも、彼らによって神の栄光が現れるためだった。
「キシュの子、サウル」彼こそが、神によって選ばれたイスラエルで最初の王だった。
彼は裕福な家の息子であり、非常に美男子であり、彼の身長は誰よりも肩から上だけ高かった。
神がイスラエルに与え給うたサウルという人、それはイスラエルが望んだ王そのものの姿だった。
民が望む王こそサウルという人だった。
ここに大切な真理が見過ごされていた。
だが、民は気がつかなかった。
気がつかぬ程に、民の思いは既に神から遠く離れていた。
神が民から離れたのではない。
民の心がとうに神から離れていたのである。
キシュの子にヤハウェ信仰は見られない。
預言者の言葉を恐れる思いもかけらも見られない。
だが、キシュの息子は世びとにとって、実に王らしかった。
神は民の願をかなえ、民の求めに答えられたのである。
この箇所から、クリスチャンは何を受け、何を学ぶだろう。
そして「キシュの子、サウル」こそ、王に最も相応しくなかった人、そのものだった、と私は思う。
だが、ヤハウェは彼を選ばれたのである。
つまり、サウルは民の王に相応しかったのである。