■ クリスマスその1・いにしえの約束 / 創世記3:8~15

創世記、私達人間にとっては忌まわしい瞬間が記録されている。 初め、人は働かなくとも生きられれた。汗水流さずとも、である。更に、家庭内には暴力もなく、すべてが別世界であった。夫婦水入らず、ではなく、夫婦の間に創造主なる方がおられたからである。敵意、というものを意識する必要もなかった。これはまさに天国以上の世界であった。ああ、もしあの二人が、「食べるな!食べると死ぬ!」と言われた実を食べずにいたら、今頃の私達は生きながらの天国住まいをしていたのに・・・ だが、二人は禁断の実を食べた。食べたその実に毒があったと言うより、食べるな、と仰せられた神を無視したからである。現代の人間が悪いことをするとしても、悪いことをする以前の人間に問題がある。それは、創造主を無視し、心から神を排除していることである。

最近、メディアが毎日流すニュース、マンションやホテルの耐震強度偽造問題である。幾人かが参考人として呼ばれ、国会の質問を受けた。彼らは誰一人、責任を取っていない。他人の分まで責任を取れとは、誰も言わないであろうが、せめて自分の責任範囲位はしっかりと自覚して欲しい。だが遠い昔、人間世界が始まって間もない創世記の3章で、21世紀のメディアとマンション購入者を揺るがす事件の責任転嫁事件がテーマになっているのだから驚きである。人間がいるところ、必ず同じ問題が存在する。それは、人が神を自分の心から締め出したことである。神を締め出したアダムとエバは、おかげでエデンの園から締め出された。

アダムもエバも、責任を取らなかった。確かに彼らにも言い分があった。だが、彼らは誘惑に負け、「その実」を食べた。神に問い詰められたアダムはエバとエバをくださった神のせいにし、エバは自分の不注意よりもサタンのせいにした。食べてしまった事実は消せない。実だけの問題であるなら、吐き出せば済むかも知れない。だが、神の前における事実は如何ともし難い。私達はこのことに疎い、と思う。日々が神の前にある。その日、その日に下す私達の決心と行動は事実として積み重なっていく。振り返れば、どれほどの失敗や失態があるだろうか。ましてや完全な人間などいないから、神様から指摘されれば、皆言い訳せざるを得ないのだ。すると、やはりエデンの世界に住み続ける人間など一人もいない。

創世記3書の後半は神の裁き、厳しい宣告がある。男も女も、その人生に絶え間ない重荷が負わされた。愕然としたことだろう。そして、サタンにも宣告された言葉がある。だが、その宣告内容こそ、後の人類にとって最高の祝福であり、恵みであったことをアダムとエバは知らなかったであろう。そこから営々と続く人類の営みの遥か先に、やがて来られる方のことが、悪魔への「敵意」として置かれ、語られた。この方こそ、キリスト・イエスその方である。クリスマス、遠い昔、古(いにしえ)の神の約束が実現成就した瞬間であった。

『蛇よ、お前は彼の踵(十字架の意)に噛み付くが、彼はお前の頭を踏み砕く。(決定的ダメージを与える。)彼こそ、お前にとって敵意(人類にとっては救い)である。』

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