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■Perfect Love(完全なる愛)/創世記50:13~21

私は創世記、大好き人間である。

I LOVE GENESIS!

一つに私が救われるきっかけは新約聖書ではなく、旧約の創世記だったこと。

二つ目、創世記に登場する人間の生き方が好きなのである。

彼等はあからさまで、生々しく、嘘もついたし、神をさえ幾度も裏切った。

自分と彼らを比べてみても、なんら遜色ない。

情けない話だがその通りである。

それでも、彼らはあけっぴろげに、神の前を生きたり隠れたり、逃げたりしている。

それは彼らが地中海の渇いた熱い空気の中に生きたせいか、あっけらかんと見えて仕方ない。

実に人間そのものの本質性は創世記から21世紀まで何ら変わっていない。

おそらく人類ある限り、変わらないと思う。

聖書がそれを裏付けているからだ。

 

私自身、当初はアブラハム親分に憧れたが、ここ数年はヤコブ野郎に惚れ、彼の人生と人間性と創造主の関わりを楽しんだ。

ヤコブに呆れ、ヨセフに涙し、11人の兄弟達に創世記の完成を見た。

そして、その完成はイスラエルのスタートだった。

神が彼等を背負い、ヤハウェが彼等をずっと抱いて守られた。

文字通り、「神の嗣業」はヤコブ族の成長と400年間を経て圧倒的に増し加えられた民族への到達だった。

ヤコブ改め、イスラエルはこうして個人から部族へ、部族から民族へ、民族から国へと育てられた。

すべてはアブラハムにおいて約束された祝福の成就だった。

聖書の神、天地をおいて唯一生ける神ヤハウェによって。

ああ、神は何とイスラエルを愛して来られたか。

 

「主は荒野で、獣の吠える荒れ地で彼(ヤコブ族)を見つけ、これを抱き、世話をして、ご自分の瞳のようにこれを守られた。」申命記32:10

目の中に入れても痛くない存在が、ヤコブ族だった。

 

ならば、私達に対して主はどの様にして来られたのだろう。

胸に手を当てて、よく考えていただきたい。

私達はヤコブの末裔たちよりも、はるかに大きな愛で養われ、培われて来た。

別に彼等の様に数奇な運命を辿ったわけではないが、神の愛の下に紛れもなく、深く強く諦めない愛によって育てられて来た。

イエス・キリストが身代わりとなり、死んでよみがえられた果ての愛はヤコブ族が受けて来なかったのである。

神の御子が代わりに死んで下さる程に、私達は主によって愛され慈しまれ、生かされて来た

 

十数年後、ヤコブは息子達に看取られ、その数奇な人生を終えて旅立った。

そのとき、息子たちは何を考えたか。

彼等はヨセフの心変わりを恐れた。

父亡きあと、彼らは最大の味方を失ったのを知った。

ヨセフが17歳の時に、兄達は弟をエジプトに奴隷の身として、銀20枚で売りとばしたのであったが、ヨセフと再会した際、そのことさえも赦された。

そればかりか、ヨセフがエジプトに来たわけは、兄達の仕業でなく、神がヨセフを先んじてエジプトへ連れて行ったのだと兄達に説明したが、ヤコブの死により自分達は末に誰によっても守られていないと己が命を案じた。

「おそらくヨセフは心翻し、私達を恨んで我々が彼に犯した悪の仕返しをするかも知れない。」と思った。

そして一計を考えついた。

 

使いをヨセフに送り、言わせた。

「私達の父は死ぬ前にこう言いました。

『ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄達は実に悪い事をあなたにしたが、どうか、彼らの背きと彼らの罪を赦してやりなさい。』」

それを聞いたヨセフは泣いた(創世記50章17節)・・と聖書は言う。

 

私はその言葉を考えてみたが、ヨセフの心中が分からなかった。

彼は何故泣いたのか?

兄達の心は今だ、私のことで自らを責めているのだろうか?

彼等と抱き合って泣き、すべてを水に流した筈の十数年前の時間は何だったのか?

 

直後、兄達がヨセフの前に来てひれ伏して言った、「私達はあなたの奴隷です。」

昔、兄達がヨセフに怒り、殺意さえ抱いたのがヨセフの見た夢だった。

すべてはあそこから始まっていた。

「私は夢を見ましたよ。見ると太陽と月と11の星が私を伏し拝んでいるのです。」

彼等は怒り狂った。

父のヤコブはヨセフをたしなめたが、ヨセフの言葉は忘れなかった、と聖書は言う。

あれから20数年後、ヨセフの夢は解き明かされた。

だが、それは人間の怒りによって現されたものではなく、神が導かれた現実の姿であり、実際の今を物語る景色であった。

そこに至るまでの経緯を人は決して想像出来ない。

神が見せた夢を、彼らに解き明かしたのは神であったからだ。

 

完全なる愛、Perfect Loveとは、どれ程の理由があろうと、それを乗り越えて共有する愛であり、もし相手の罪ならば受け入れてすり潰し、再び戻らない時間の彼方にゴミとして押し流す愛である。

人はどこまでも人でしかない。

それでも全能の主、共に御座すならば神が働いて下さるのである。

 

 

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