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サウロの見たイエス/使徒7:51~8:1

生粋のユダヤ人、生まれて八日目の割礼を受けた血筋は12部族ベニヤミン。

イスラエル民族、生粋のヘブル人。

律法においてはパリサイびと、70人議会に属し、やがてはラビとして君臨したであろうダークホースでエリート。

キリキヤの美しい海辺の町タルソで生まれ、幼い時から叩き込まれたユダヤ主義。

ユダヤ教という厳しい教義の中で成長した男、サウロがイエスを直接目にしたか否かは分からない。

但し、狭いエルサレムの町で少なからず噂を耳にしていただろう。

ガリラヤの出、ナザレの村から台頭して来たイエスという男。

何かにつけて人々の関心を抱かせた。

特にユダヤ教徒に対し、何かとケチを付けているらしいことは噂に聞いた。

自分を神に等しい者、などともほざいているらしい。

神を愚弄するとしか思えない許し難い言葉と存在は、サウロの心に少なからず敵愾心を植え込んでいた。

 

そして或る日、イエスに洗脳された一派のステパノと呼ばれる若者が群衆に引き摺り出されていた。

通り掛かったサウロが近寄った時、人々は着物をサウロの足元に脱ぎ置くと、怒り心頭に達した男達それぞれが石を持って叫びながらステパノに殺到し、無抵抗の彼を殺したのである。

この日からサウロの中に「その道の者達」に対する憎しみと殺意の思いが大きく燃え上がり、逆賊を一掃すべき使命は今、我が身に与えられたと思い込んだ。

 

サウロの立場から見たイエスは一重に憎い、呪うべき存在でしかなかった。

私がイエスも教会も知らなかった時点で、主は無関係の対象でしかなかった。

家内がクリスチャンになった時も、似た様なものだった。

彼女が洗礼を受けた日も、同様だった。

しかし、几帳面に毎週毎に教会へ通い出した辺りから、何かが起きた。

教会通いだけの運転手は実に面倒臭いのである。

買い物程度は問題なかったのに。

週末になると、妙に苛ついた。

本来、日曜は嬉しい筈だったのに。

当時はかなり険悪な日曜日の朝だったと記憶する。

 

やがて週末の天気は更に悪化した。

何と教会学校が我が家にやって来たからだ。

理由は立川基地の日本国返還に伴う軍人家族の転勤移動となり、当時の「GRACE CHURCH」(恵み教会)が閉鎖されたからだった。

日曜の朝、突如としてアメリカ人の子供達が大挙して襲来した。

仮に10人強位であったと思えるが、私にとっては大挙なのである。

こっちが退去したいくらいだと思ったが、相手が子供じゃ何も出来なかった。

その頃、私の中でイエスは相当に鬱陶しい対象となっていた。

だが、この緊急事態は三カ月程で収まった。

どうやら軍人家族の行き先が決まったからであろう。

私はふと胸を撫で下ろしたものだった。

その為かイエスは大分大人しくなった、と感じていた。

この反動もあってか、その年末の教会クリスマスに自ら参加したのかも知れない。

 

それにしてもその半年後、まさか自分がクリスチャンになろうとは・・・

晴天の霹靂どころか、「絶対に眉唾ものだ」と友人に茶化されたりもした。

当然である。

自分で自分が何をしたかもわからない。

私は何もしなかったのである。

ただ、キリストが私を対処された、のである。

 

サウロがイエスを憎んだ理由、それは彼がイエスを知らなかっただけである。

当時のユダヤ人とて同様である。

イエスを知って嫌いになるとすれば、それなりに理解は出来よう。

知らない、これが全てなのだ。

胡散臭い、怪しい、世の中のゴミ、まがいもの、すべて知らないからの理由だった。

知らないから憎める。

知らないから嫌い。

特別な理由など殆ど無いのである。

そうやって人間の心の扉を閉じさるものは何だろう。

知識でも理性でも知恵でもない。

生理と感情によって掃き集め、一緒に捨てたい思いである。

余りに簡単で理由も見えないから空気みたい敵だった。

遠くから目を細くして眺めたにせよ、イエスが何だかわからないのは当然である。

 

だからこそ、逆に人が瞬時にして救われることだって不思議ではない。

今の今までカンペキにクエッションな存在を、数分後に「イエスが救い主!」と呼ぶのが人間だ。

神と呼ばれる超自然的な存在に対する畏れ、つまり謙虚に身を屈められるのもそういうことか。

おっ!掴みどころのある方か、とイエスを感じた瞬間に人の心は揺れブレなのだ。

私は聖書も聖書の神も知ったわけではない。

それに関しては99.99%無知だった。

だが、半日と言う時間の流れの中で主は訪れた。

1978年3月12日夜、主が私の前に立たれ、扉をノックされ、そして私の心は「どうぞ、お入り下さい」と言って、扉を押し開いた。

その朝までイエスは無関心の壁の、はるか向こう側だったのに彼は私に会うためにやって来られた。

それは恩寵だった。

 

恩寵・・GRACE・・恵み。

受けるに値しない人間への神の無償の愛(アガペー)。

得たいと願わない者に惜しげもなく施される慈しみ。

お返し出来ない者に賜る神の恩寵。

何をもってしても言い表すことが出来ないキリストの愛。

 

英語訳にせよ、日本語訳にせよ、寂し過ぎる訳語の範囲である。

ギリシャ語には単に愛というだけの単語は存在しない。

エロスなのか、義理なのか、という以上に「アガペーという愛」表現は余りにも豊かだ。

中でも最高のアガペーは、YHWEなる神であり、キリストなる神である御霊の神からの愛だけが罪びとを愛し、赦し救うのだ。

恩寵は永遠である。

無限である。

枠無し、資格なし、肩書なし、切りなし、崇高なる、高尚なる、何処までも限りなく高く深いアガペー。

日本語聖書は漢字に拘らず、ただアガペーとだけ記すべきだった。

「わたしは有って有るもの」といわれた方。

サウロが幼児の時から壮年に至るまで、叩き込まれたものは何だったのだろう。

彼が心底イエスを知った時、名誉であった筈のそれらは「塵芥・ちりあくた」であった、と彼はピリピびとへの手紙で吐露した。

 

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