■ 御国は更に近づいた / マタイ24:1~14 (2005-01-02)
主にあって生かされているクリスチャンたち! 2005年が明けました。そして、私たちは去年より、更に大きく一歩を天の御国へと歩ませていただいたのです。実に、おめでたい!のです。ハレルヤ、主をたたえます!
イエスと弟子達はエルサレム神殿を見上げていました。そのきらびやかさと荘厳な姿は人々の目を魅了しました。建造期間が46年という時間、とてつもない費用、労力を必要としたのです。参拝する人々は、さぞや厳かな気持ちにされ、神をたたえたのでしょう。 キリスト教の建物も時代の中で、似たような経緯を辿ったのです。それは、建築様式に新風を与え、限りない技術と創造、憧れと意欲を人々に与えたのです。ですが、キリストの教会は見える建物でなく、信仰者の群れなのです。主イエスは神殿にしろ、教会堂にしろ、同じ感想を述べられたのかと思うのです。 「あなたがたは、このすべての物に目を奪われているが、やがて来るその日に、これらの建物が残されることは、決してない」と。 私達は、何を見、何を考えながら、新しい年に向かうべきでしょう。それは、見えるものではなく、見えない方を見上げる信仰の目で、現実に向かうことです。
今日の聖書の箇所は、私達に具体的な示唆を与えます。イエスは言われます。 第一に、人間に惑わされるな、と言うことです。終わりの時代になると、「自分こそがメシア(救い主)であるとか、カリスマ性をもって人々を圧倒するような人物がたくさん現れる、とのことです。しかし、どれほどの偉大な人物が現れようと、旧約聖書が言うように「鼻で息をする者を頼りにするな」なのです。そして、「自分こそ神の預言者である」と語る偽者が多く現れるとも言われました。 第二は、世界の情勢で神を計るな、と言うことです。戦争は各地に起こり、民族対民族、国と国、あらゆる戦いが起こるとも、それは神の裁きが始まる前兆でしかない、と。それらは、必ず起こることであり、キリスト者は世の終わりが近づいたことを悟りなさい、とのことです。ここでも、現実から神を計るのでなく、神の言葉に根ざして、現実を見なさい、なのです。 第三は地震や飢饉が重なって起こるが、それでさえ産みの苦しみの始まりである、とのことです。 神の国は近い、のです。産みの苦しみは確実に始まっているのです。そして、私達が特に覚えるべきは、「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は、救われます」(24:13)というみことばです。信仰を整え、心静かに主を待ち望む者となり、ともし火皿の油(聖霊の火)を絶やさないようにしましょう。間違いなく、主は近い、のです。