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■出会いの継続/ヨハネ3:1~7
ヨハネ福音書3章1節『さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。』 パリサイびとはユダヤ教の中でも原理主義、律法に関して非常に熱心で活動的な教団であった。 彼らは聖書の中でも、常に、ことごとくイエスに対して否定的・攻撃的態度を取った。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2020年1月5日
■このことを信じるか?/ヨハネ11:20~27
搗(か)ちあう、という言葉。 物と物が突き当たるとか、肩と肩がぶつかるといったふうに使用される。 または重なる、という意味もある。 場合によっては、搗ちわない、かみ合わない会話という場合の表現もある。 イエスはベタニヤ村にあるラザロ、マルタ、マリヤの三兄妹の家にちょくちょく...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年7月21日
■神によって教えられる時代/ヨハネ6/41~45
私達日本人は大方に於いて、何ごともハッキリ決めつけるのは苦手なのかと思う。 つまり余裕というか、ぶれる分を多少残して置くことが好きな国民性、と感じる。 言いたいことは、多少曖昧、いい加減でもいいじゃん?・・かな。 こと外来宗教でもあるキリスト教は、相当はっきり確信を迫り来る...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年7月7日
■我が主、我が神、私のイエス/ヨハネ6:34~40
『神からのパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。』 イエスの言葉にユダヤ人が聞いた。「主よ、いつもそのパンを私たちにお与えください。」 イエスは言われた、『わたしがいのちのパンです。』 ではクリスチャンであるあなたはいつ、イエスがいのちのパンであること...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年6月30日
■何もしなくてよいのです/ヨハネ6:27~37
「何もしなくてよいのです。」突き詰めるところ、キリスト教はこうである。 人間は常に何かをしたがる生き物である。 祈るより何かをしたがる。 想うより行動だと考える。 確かにそのほうが、「やってる観」は有るし。 残念なことに、私などその急先鋒である。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年6月23日