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箱舟が浮き上がった/創世記7:17~24

動物たち、鳥たち、そしてノアと家族が箱舟に入って七日後、天にある巨大な大いなる水の源がことごとく張り裂け、水門が開かれた。

大雨は40日40夜、地の上に降り注いだ、と聖書は言う。

今年の夏から秋にかけて、すさまじい台風の威力に恐れをなした私達である。

幾日も降り続く豪雨は、堤防を決壊させ、田畑や家や人々を押し流した。

降る雨音は、低く大きく太鼓の音を響かせるかの如く、用水路に流れ落ちていた。

町中の下水の蓋は宙を舞い、道路はさながら川となり、一帯は湖か大河の様だった。

改めて恐怖を感じた人々は決して少なくなかったと思う。

数日間に渡る豪雨でさえ、人々を死に追いやるとすれば、40日間の昼夜を問わず降りしきる雨にノアは何を感じただろう。

そして聖書はいう。

「水かさが増してゆき、箱舟を押し上げたので、それは地から浮かび上がった。」

ノアの日は、豪雨そのものが、水そのものが、人類と自然界を滅亡させるためであって、それ以外のなにものでもなかった。

ただ、ノアと家族だけが助かったのである。

それは彼等だけが、主の前に正しかったからだ。

ノアは主の忠言に従って、何年も掛かって巨大なタンカーの様な箱舟を建造した。

不格好で櫓もなく窓も殆どない、長くて低くて、幅広の舟は浮かぶ為だけだったが、寸法も材料も、隙間を埋める松脂も、主である神の示されたものだった。

ノアと妻、息子三人とそれぞれの嫁達、そして自然界の生き物がびっしりと入った箱舟はゆっくりと浮き上がった。

それは水が押し上げたというより、神の御手が持ち上げたかの様だった。

箱舟に入ったものたちだけが生き残った。

だが、入らなかった者達を初めとして、全ての生き物は水の底で死に絶えた。

箱舟はまるでイエス・キリストそのものだった。

彼を信じて、彼の中に入る人は救われる。

入ること自体で、人は救われ永遠のいのちを与えられるが、入らなかった人たちは、永遠の滅びに埋もれる。

ノアの時代、ノアと家族以外の誰一人として箱舟に入らなかった。

なぜ、入らなかったのか。

言えること、人間は生まれついて霊的に死んでいるということ。

霊性が無いのだから、つまり人は魂と肉体だけの生き物である。

霊性を失ってはいるが、無意識のうちに人は自己の空虚感を感じ、何とかして霊性を取り戻すべく葛藤する。

或るものは社会的地位、権力、名誉を求めるだろう。

また或る者は自分に似合うであろう宗教を模索し、それを手中にする。

だが、それは人間が求め、人間の好みと考えで手にしたものであるため、救いにまでは到底至らない。

だが、人間は救われたと信じている、仮に何が救われたかもわからないままに。

心が満たされたにせよ、罪の赦しと永遠のいのちこそが肝心なのである。

そして気に入らなければ別の物に乗り換える。

まるで電車の旅のように、行きたいところへ行くためには乗り換える。

大洪水も、箱舟も、ノアの救いも、ノアが求めたものではない。

箱舟も、天の水門を開いたのも、ノアの考えではない。

自然界と人間を造られた方が、人間の罪の世界をあきらめられたのである。

すべて主が、お決めになられたのである。

創世記6:5~6

「主は、地上に悪が増大し、人は心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」

21世紀の今もキリストを信じ受け入れることによって、どんな人でも救われる、という聖書の約束は変わっていない。

一言一句たりとも変わっていない。

それは時代と、文明の流れによって変わるものではないからだ。

人の考えも文化も文明も変わる。

だが、神は永遠の昔から永遠の未来まで、ご自身の考えと約束を変えられない。

創造主、助け主、救い主、つまり「主ご自身と働きを代弁する三つの領域」は、この地が崩れ落ちても変わらない。

何故なら主だけが真理であり、活ける神であり、永遠だからである。

夏の朝、草の葉の上に光る美しい銀の小粒を見たことがおありだろうか。

その水玉は美しく清い。

いつまでも其処にあって欲しいと思う。

だが、太陽が昇って一時間二時間もすれば、あとかたなく消えてしまう。

その銀の水玉こそが、私たちであり人生なのである。

どこかへ行ったのではない。

消えてしまったのである。

そういう存在であればこそ、創造主は永遠のいのちと、そこに到る道を下さった。

人間は、か弱き存在であり、欠けある存在であっても、神ご自身が知恵と力と愛を込めて造られた傑作であるからだ。

聖書を開いて読んで感じて欲しい。

他の何よりも、あなたに関心がある主が、あなたに真理と知恵と道を教えられるであろう。

それこそ、人間が理解できない程の神の深い愛に出会うであろうから。

詩人は神に向かって問うている。

『あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは何者でしょう。

あなたがこれを心に留められるとは、人の子とは何者なのでしょう。

あなたがこれを顧みられるとは。』詩編8:5~6

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