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旧約聖書/創世記
- 2019年10月27日
■エデンの東、ノデの地/創世記4:16~26
この地上がかつて「エデンの園」として置かれたときは、100%主の御意志とことばで創造され、自然界すべては平安と祝福に満たされて、人も獣もすべての生き物は安らいでいた。 たった一度の出来事によって、すべては別世界となった。 アダムとエバが主の御意志を無視した時である。 人は「エデンの園」から追い出され、エデンの東で生活するようになった。 エデンの東でカインが弟アベルを殺したことにより、カインはひとり両親から離れ「ノデの地」に移り住んだ。 ノデとは「さすらう」という意味で、カインの人生が流浪の人生となった象徴そのものだった。 それこそ、裏返せば人類そのものが流離う(さすらう)宿命となった。 「ノデの地」とは単に土地から土地へとさすらう意味ではなく、神から離れ自己中心に生きること自体を指している。 思えば、私自身も生まれてから33年間をノデの地で暮らしていた、ということになる。 人は働き、汗して食を得、寝ては起き、起きては食し、人は食べるために働いた。 子孫は子を産み育て、その孫たちはつないで生き、やがては大家族になり、更に増えていった。 彼らは自分が
創世記/旧約聖書
- 2019年10月20日
■「此処もエデン東」/創世記4:1~16
ジェームス・ディーン、主演映画の「エデンの東」。 取り立てて見たいと思わなかったが、心の隅っこにずっと有り続けたタイトルと俳優。 ひとつには彼が24歳の時、壮絶な事故で亡くなったことで、私の内面が否定的な処理をしていたのかも知れない。 今回、教会の礼拝メッセイジで「エデンの東」という箇所を扱うことになったので、とにかくこの映画を見たいと思った。 J・ディーンのイメージと存在感はこの映画一つで、爆発的に人々の心を掴んだ理由がわかった気がした。 没後64年経過しているが、今なお彼は飛び切りのスターであって、人々の記憶に生き続ける理由も理解できた。 やはり、不世出の俳優であり、銀幕のスターだった。 デビュー後4年程度しか活躍できなかったのに、永遠のスターとなった理由は余りにも悲劇的なこの世の去り方だったからか。 アダムとエバが神の掟を破り、食べてはいけない実(善悪の知識の実)を食べた故に、主は彼等をエデンの園から追放された。 神は彼等が再びエデンに戻れない様に、そして再び「いのちの木」から取って食べることのない様に、園の東に「ケルビム」と「輪を描いて回
旧約聖書/創世記
- 2019年10月6日
■大いなる不完全/創世記3:21~4:8
ヨシャパテは南王国ユダの王だった。 その人間性は常に神に向かい従うものだった。 国民を思う心も主を念頭に置くものだった。 つまり何をとっても彼以上の王はいなかった。 聖書は言う、「主は王国をヨシャパテの手によって確立された。彼の心は主の道にいよいよ 励み、富と誉が豊かに与えられた。」(第二歴代誌17章) つまり彼の前にも、彼の後にも、彼以上の王はいなかったのである。 転じて北王国イスラエルのアハブは最悪の王だった。 彼以上に悪い王はいないとさえ思われる。 主の前に悪を犯し、多くの預言者を迫害した。 ある日、アハブはヨシャパテにこう言った。 「あなたと私はとは同じようなもの、私の民はあなたの民と同じようなものです。あなたと共に戦いに望みましょう。」(第二歴代誌18章〉 何ということか、やがてヨシャパテはアハブと和平条約を結んだのである。 ここにヨシャパテのたった一つの、そして大きな弱さがあった。 完全な人間などいない。 つまり、人間は不完全な生き物である。 だから人間なのである。 人は神ではない。 不完全だから人なのである。 すべての人は不完全であ