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新約聖書/ルカの福音書
- 2020年1月19日
■キリスト者の宝/ルカ12:32~40
「キリスト信仰とは、他人に教えることは容易く、自分で生きるには何とも難しい」ものだと悟らされた。 他人に伝えるには、言葉もスラスラ出てくるし、生き生きと表現さえ出来る。 だが、いざ自分で実践するときになると思った以上に心も体も動かない。 やはり人間とは自己中心である。...
新約聖書/ルカの福音書
- 2019年6月9日
■500デナリの罪/ルカ7:36~47
牧師生活60年の先生の言葉 「何ごとか、為したきものと勇み立ち、危うく神を忘れんとす。」 とても正直な先生だと思った。 人生のあらましを「主のしもべ」として、神の言葉に仕えた人の実感のこもった言葉は殆どのクリスチャンの共感を呼ぶだろう。...
新約聖書/ルカの福音書
- 2018年7月22日
■マンツーマン/ルカ9:23~26
1986年、クリスチャンになって8年、教会のこと、聖書のこと、人間と神、「大体わかったなぁ」と傲慢に構え始めていた頃だった。 「こんなもんかな、教会とは」それでも、毎週礼拝にはきちんと通っていたし、教会学校の奉仕もしていたが、燃えるものは今一つ無かった。...
新約聖書/ルカの福音書
- 2018年4月8日
■開いていても見えない目/ルカ24:13~32
いつも分かち合う体験談。 通い慣れたファミレスで働くお母さん。 馴染になったこともあり、ニコニコと細やかなサービスもしてくれる。 その店に行くと必ず出会うお母さん。 私の中では、無意識に夢庵・母さんとして位置づけししていた。 ある日、スーパーで出会った女性。...
新約聖書/ルカの福音書
- 2018年3月29日
■2018・最後の晩餐/ルカ22:14~24
年に一度のイースター(復活祭)。 クリスチャン、特に教会生活を送っている信徒にとって、これほど大きな力を与えられる時は無い。 でも、その三日前の木曜日夜の「最後の晩餐」は実に意義あるものだ。 イエスが遂に十字架の道へと歩を進めた第一段階であり、既に覚悟を決められた次元である...