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新約聖書/ヨハネ福音書
- 2019年6月30日
■我が主、我が神、私のイエス/ヨハネ6:34~40
『神からのパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。』 イエスの言葉にユダヤ人が聞いた。「主よ、いつもそのパンを私たちにお与えください。」 イエスは言われた、『わたしがいのちのパンです。』 ではクリスチャンであるあなたはいつ、イエスがいのちのパンであることを知ったのでしょう?と、問いたい思いである。 私など当初、苔が生えたくらいに鈍感だった。 第一クリスチャンだから当然理解出来るわけでもないのである。 そういう問いかけをする牧師もいなかった。 実際、生きている今の次元で「いのちのパンを理解する」ことは非常に大切なことである。 イエスを知るとはそういうことだと思う。 彼が『私は道であり、真理であり、いのちである。』と言われたら、「ああ、そうですか、そうなのですね。」では、何とも締まらない。 自分で、イエスという道を歩いて実感するとか、わたしが真理であると言われる意味を知るとか、いのちとは命を超えたイノチであるとか、自分と人生で体験して、掘り直してみることが大切だと思う。 クリスチャンでない人には、とにかくイエスに出会って欲しい。
新約聖書/ヨハネ福音書
- 2019年6月23日
■何もしなくてよいのです/ヨハネ6:27~37
「何もしなくてよいのです。」突き詰めるところ、キリスト教はこうである。 人間は常に何かをしたがる生き物である。 祈るより何かをしたがる。 想うより行動だと考える。 確かにそのほうが、「やってる観」は有るし。 残念なことに、私などその急先鋒である。 イエスにまかせよ、ゆだねよという意味は、人は宗教的分野に於ける行動が多過ぎるのではないか、ということである。 つまり、行動することイコール奉仕、して差し上げることイコール信仰深いとなり、何かすることが信仰者として当然となる。 一概に言い切れないかも知れないが、人が動いたからと言って、その分だけ神が助かるということがあるのだろうか。 人が神の先を行っているような気がしてならないのは、私だけだろうか。 神は人間に助けて貰うことなど求めていないと思う。 助けてもらうのは人間であるのに、神を動かす人間になっているのかも。 それよりも、「静まりて、われの神たるを知れ」(詩篇46:10)といわれた言葉が重い。 「ひとよ、あなた方は騒がずに静まりなさい。そうでなければわたしを知ることなど出来ないのだから。」と主はいわ
旧約聖書/民数記
- 2019年6月16日
■モーセがあなたは我が目と言った男/民数記10:29~36
イスラエルの民、子供から大人まで数十万人を引き連れ、エジプトから約束の地カナンへと荒野を旅するモーセとイスラエルにとって、すべての面で危険要素をはらんだ旅だったが、特に危険と思えることは自分達の居る位置を見誤ることと、水場を見失うことだった。 出エジプトは荒野の中で40年という膨大な時間の旅だった。 だが、何よりも彼らにまとわりついた死の危険は迷いでも水問題でもなかった。 それが何だかお分かりだろうか? それは「彼らの神に対する不従順」だけだったのである。 その証拠には水が無くて死んだ記事はない。 食料が無くて死んだ記事もない。 数限りなく多くの人々が死んだ原因は、彼らの「神への反逆心」だった。 実にイスラエル民族が生きる道は、ひたすら主なる神YHWEに従うことだった。 その一点だけだったのである。 私が昔、イスラエルツアーを体験する以前は、イスラエル民族のYHWE(ヤハウェ)に対するあまりに不従順な生き様であった。 聖書を読んで行くと、何かにつけ、モーセに、神に、逆らう民を見て、彼らは何と不従順、不信仰、我儘な民であろうかと呆れていた。 しかし
新約聖書/ルカの福音書
- 2019年6月9日
■500デナリの罪/ルカ7:36~47
牧師生活60年の先生の言葉 「何ごとか、為したきものと勇み立ち、危うく神を忘れんとす。」 とても正直な先生だと思った。 人生のあらましを「主のしもべ」として、神の言葉に仕えた人の実感のこもった言葉は殆どのクリスチャンの共感を呼ぶだろう。 60年と言うキャリアが傲慢をもたらして当然であるし、プライドも当然であろう。 しかし、どっこい先生はサタンの手管に乗らなかった。 正直が一番であると思う。 だが、実際はちょいちょい顔を出そうとする人間のおぞましさを、腹の底に押し込んで生きている我が身である。 パリサイびと、熱心なユダヤ教の教派である。 ユダヤ教には、もう一方にサドカイ人びとという教派があった。 両者の仲は決して良いとは言えないが、ことイエスに関しては気が合ってしまうのである。 でも教会の聖徒たちには、そういう輩はいないのである。 人間臭い部分など無いとは言わないが、やはり神の家族であり、兄弟姉妹だからである。 思い起こせばローマの総督ピラトと、ユダヤの王ヘロデは元々非常に仲が悪かった。 置かれた立場と政治的局面の思惑はぶつかるも、互いへ警戒心と欲


chofuminami
- 2019年6月3日
公開サイトやスマホから記事を作成
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