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ヨハネ20:19~31
2016年4月24日
■ 私の主 私の神 (2016-04-24)
復活の主、イエスが弟子たちの前に現れたとき、トマスだけがその場にいなかった。 トマスの中に、自分だけがイエスを見ていないという不公平感と、取り残された不満は他の者に対する投げやりな言葉となっていた。 だから「私たちは主を見た。」という弟子たちの言葉はトマスにとって腹立た...
マタイ20:1~16
2016年4月17日
■ ここも神の国
「ここも神の御国なれば」とい讃美歌がある。 讃美歌というものは、メロディ以上に歌詞の内容が大切である。 メロディは歌詞の内容に添って、書かれるものだと思う。 悲しい歌詞、試練の只中に置かれた人生の詩、希望に向かう歌詞、感謝に満ち溢れる心、歌詞次第でメロディは変わる。 ...
使徒の働き1:3~8
2016年4月10日
■ 私のエルサレム
イエスはエルサレムで殺され、エルサレムの墓よりよみがえられた。 私の霊的誕生はイエスの死と黄泉がえりが結果であるが、霊的誕生地といえばエルサレムであると思っている。 エルサレムはシオンであり聖都であり、モリヤの山である。 ...
ルカ24:25~35
2016年4月3日
■ 見えない理由(わけ)
イエスがよみがえられた日の夕方近く、エルサレムからエマオの村へと急ぐ二人連れがあった。 彼らはイエスの弟子であっが、早朝に起こったイエスのよみがえり の出来事が信じられず、そのことで話は尽きなかった。 陽が落ちる前にエマオに入るべく、沈みかけていた夕日に向かって歩を速め...