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ヨハネ20:19~31
- 2016年4月24日
■ 私の主 私の神 (2016-04-24)
復活の主、イエスが弟子たちの前に現れたとき、トマスだけがその場にいなかった。
トマスの中に、自分だけがイエスを見ていないという不公平感と、取り残された不満は他の者に対する投げやりな言葉となっていた。
だから「私たちは主を見た。」という弟子たちの言葉はトマスにとって腹立たしかった。
彼は言った。「私はその手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ。また私の手をその脇に差し入れてみなければ、決して信じません。」
トマスの気持ちは確かに痛いほど分かる思いがする。
その昔、私も宣教師にかみついた。
「天国、天国と言われても、誰か実際に行った人が帰ってきたとして、その人が私の眼の前にいるとしたら、信じよう。そうでなければ信じようがない。」
宣教師は反論して来なかったし、笑みさえ浮かべていた。
それが私にとっては尚更に腹立たしかった。
その半年後、アブラハムの信仰を心と肌で感じたとき、「私もアブラハムが信じた神を信じたい。」と言った。
何を見たわけじゃない。
読んだのは創世記6章から22章までの部分だけ。
新約聖書?
わからな
マタイ20:1~16
- 2016年4月17日
■ ここも神の国
「ここも神の御国なれば」とい讃美歌がある。
讃美歌というものは、メロディ以上に歌詞の内容が大切である。
メロディは歌詞の内容に添って、書かれるものだと思う。
悲しい歌詞、試練の只中に置かれた人生の詩、希望に向かう歌詞、感謝に満ち溢れる心、歌詞次第でメロディは変わる。
この讃美歌の1番と2番は見慣れた様な景色さえも、神を見る目と心があれば、当たり前に思えない主の御手を感じてしまうと、書かれた抒情詩であると思った。
「降る雨も、鳥のさえずり、花の香、朝陽、夕陽も創造主からの温かな贈り物であり、そよ吹く風さえ神を語る・・・」
こういう心をいつも持ち続けられたら、どんなにいいだろうか、と思わざるを得ない。
3番の歌詞、一転現実に戻されたかの様な感じがするが実はそうではない。
自然界が奏でる美しく優しい囁きの後に、人間の愚かさ醜さが歌の中に書き込まれている。
「ここも神のみくになれば、邪(よこしま)暫しは時を得ても、主の御旨の稍(やや)になりて、天地(あめつち)遂には、一つとならん。」
(邪悪(罪)がしばらくの間この世を席捲したかに
使徒の働き1:3~8
- 2016年4月10日
■ 私のエルサレム
イエスはエルサレムで殺され、エルサレムの墓よりよみがえられた。
私の霊的誕生はイエスの死と黄泉がえりが結果であるが、霊的誕生地といえばエルサレムであると思っている。
エルサレムはシオンであり聖都であり、モリヤの山である。
アブラハムが息子イサクを神に捧げた地は現在、岩のドームがあるモリヤの山頂であるが、イサク奉献の場面に出会い、1978年3月12日私は聖書から信仰に導かれ救われた。
つまり、すべてがエルサレムであった。
私はクリスチャンになど、成りたくなくて礼拝に行っていた。
単に妻と子供に付き合っていただけである。
眼も心も閉じていたのだから、救われる日までのメッセージなど全く記憶になかった。
牧師の説教を聞く姿勢も態度も無関心そのものであったであろう。
自分の無関心な態度さえ記憶にない。
何とも不思議な時間だったが、とりあえず礼拝だけは休まず付き合った。
自分で自分のしていることが分からないとは、このことだろう。
多分、周囲の人は「毎週礼拝に来ているのだから、いつかは救われるだろう」程度だったのか。
そのせいか、当
ルカ24:25~35
- 2016年4月3日
■ 見えない理由(わけ)
イエスがよみがえられた日の夕方近く、エルサレムからエマオの村へと急ぐ二人連れがあった。
彼らはイエスの弟子であっが、早朝に起こったイエスのよみがえり の出来事が信じられず、そのことで話は尽きなかった。
陽が落ちる前にエマオに入るべく、沈みかけていた夕日に向かって歩を速めた。
すると、いつの間にか一人の男が彼らに寄り添うようにして歩きながら、話しかけてきた。
「歩きながら、二人で話し合っているそのことは何のことですか?」
すると二人は立ち止まって、暗い顔つきになって答えた。
「エルサレムに居ながら、近頃起こった出来事をあなただけ知らなかったのですか?」
すると、その人は興味深そうに聞き返した。
「どんなことですか?」
ここから弟子たちは、ナザレのイエスに関して説明を始めた。
弟子達がどれほどイエスに期待していたか。
イエスは行いにも言葉にも、力ある預言者だった。
イエスこそ、イスラエルを贖ってくれると望みをかけていたこと。
だが、ユダヤ人指導者達はイエスを十字架につけて殺してしまったこと。
どれもこれも彼らの心から一切