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■ 私のエルサレム

イエスはエルサレムで殺され、エルサレムの墓よりよみがえられた。 私の霊的誕生はイエスの死と黄泉がえりが結果であるが、霊的誕生地といえばエルサレムであると思っている。 エルサレムはシオンであり聖都であり、モリヤの山である。 アブラハムが息子イサクを神に捧げた地は現在、岩のドームがあるモリヤの山頂であるが、イサク奉献の場面に出会い、1978年3月12日私は聖書から信仰に導かれ救われた。 つまり、すべてがエルサレムであった。 私はクリスチャンになど、成りたくなくて礼拝に行っていた。 単に妻と子供に付き合っていただけである。 眼も心も閉じていたのだから、救われる日までのメッセージなど全く記憶になかった。 牧師の説教を聞く姿勢も態度も無関心そのものであったであろう。 自分の無関心な態度さえ記憶にない。 何とも不思議な時間だったが、とりあえず礼拝だけは休まず付き合った。 自分で自分のしていることが分からないとは、このことだろう。 多分、周囲の人は「毎週礼拝に来ているのだから、いつかは救われるだろう」程度だったのか。 そのせいか、当時は誰からも伝道されなかった。 若しくは伝道しない教会だったのか、わからない。 当時講壇の上に掲げてあった年間聖句でさえ、まったく見えていなかったし、意味そのものが無関心だったので「分からない」、が正直な思いである。 そんな輩が3月12日の朝(言っておくが牧師の話からではない)、ひとり勝手な目で創世記を開いていた。 ノアの方舟の記事、ストーリーは知っていたので面白く読めた。 そこからページを読み進むとアブラハムの物語へと移る。 中々面白いとは思った。 そしてイサク奉献の記事、創世記22章に来たとき、そこで指は止まった。 多分、自問したのであろうか。 アブラハムの信仰がすごいと感じ、彼の行動を自分にあてはめて答えた。 「私には出来ない。だが、アブラハムは凄い、果たしてそんな神がいるのか・・・」 その晩、主が私の心を訪問された。 激しく戸を叩かれた。 開けないと・・という思いになったとき、生まれて初めて心の戸を意識した。 それは外に向けて押し開く扉だった。 そして私は戸を押した。 「この神なら信じてみたい・・・。」 直ぐに妻が知り合いの宣教師に電話し、電話で導かれるままイエスを信じますと伝えた。 実際、イエスも十字架も何一つ分かっていない。 受け止めたのは、ただアブラハムの行動、信仰、彼の神の存在だけ、それだけだった。 99%おぼろげながら、「アブラハムが信じた神、聖書の神を信じたい。」の1%だけは実に鮮明だった。 次の週、礼拝に行った際、牧師は私の眼を覗き込みながら言ったものだ。 「へぇ~、前田さん、信じたの。」彼の眼は「?印」が読み取れるくらい完璧に疑っていた。 「良かったね、おめでとう!」と言われた覚えがない。 だが、そうとしか思えない程に、それまでの私の態度であったろうと、後から感じたものだ。 「なんだよ、信じちゃいけねぇのかよ。」内心はそう思った。 あの日の牧師の眼は以来、ずっと瞼に焼き付いている。 だが不思議と腹は立たなかった。 そして数日後、遂に私は十字架の意味を悟らされた。 内にある罪、原罪とも言える罪を聖書から知った時、イエスとの絆を生まれて初めて知った。 「このためか・・・この為に、私のためにイエスは十字架で死なれたのか。」 あの頃、牧師という職と立場に最も相応しくないのが自分だということは知っていた。 成れない以上に、絶対成りたくない奉仕であった。 38年前の当時感じていたこと。 牧師とは「最も難しくて、最も簡単な仕事。」 難しいとは、自力で取り組んだ場合、自力で完成しようとした時。 簡単とは自力で取り組まないで、何でもかんでもキリストに従って「はい、そうですね。はい、そうですね。」と言って従うこと。 なにせ自分でやらないのだから(つまりは木偶の棒の如くに)、楽な筈だと思ったのである。 初めから成りたくないし、成らないと決めていたのに、何故なりたくないと継続して考えていたか、これ自体が不思議である。 つまり、この耳で聞こえる筈のない声を聴いていたのだろうか? エルサレムで死んでエルサレムでよみがえられた方の声を、である。 そして中々、木偶の棒になれない。 成れたら楽なのに・・・

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