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■ 450対1 / 第一列王記18:14~40 (2006-07-16)

イスラエルの王、アハブは神からの預言者エリヤに言った。「エリヤ、お前か、イスラエルを煩わすものは。」 エリヤはアハブに言った。「あなたこそ、この国を煩わす者です。主の命令を捨てたのです。」

この日本はクリスチャンを煩わす。この国はクリスチャンにとって非常に生きにくい世である。この国に染み付いた神道カラーは、洗っても洗っても落ちないシミのようなものである。日本人そのものが、教えも理念もない神道に染まりきっている。祭儀しか持たないこの宗教が何故か非常に強い。渡来した仏教を呑み込み、我が物と化し、独特な日本仏教を創り出し、その背後で操っている。驚くばかりのしたたかさである。キリスト教も少しは真似をすべきかも知れないが、あまり深入りすると仏教の二の舞になるかも知れない。それは、日本人そのものの特性によるからだと思う。

反して、日本のキリスト教会、そして日本人クリスチャンは、この世を煩わすくらいになっているだろうか。なるべきであろう。エリヤは神の言葉に従い、イスラエルや周辺国に対して、天からの水を差し止めた。もともと渇いている地中海周辺国はたまったものではない。増してや三年の間、一滴の雨も降らなかったからだ。

450人の預言者はバアルと呼ばれる偶像に仕える者たちであった。一方、主のしもべはエリヤただ一人。450対1は陽射しの強いカルメル山で向かい合った。450人は動物の生贄を刻み、祭壇に並べバアル神を呼んだ。だが、呼べど答えはない。やがて彼らは自らの体に傷をつけ、血を流しつつ、踊り狂った。しかし、バアルは答えない。答えることが出来ないのではなく、はじめから存在していないのだ。我が日本社会も同様の宗教を持っている。まったく人間たちの一人芝居であるが、それでもあきらめない。バアルを呼んだ人々と同じである。

一方のエリヤは壊れていた祭壇の石を整えた。ここに鍵がある。 あなたの神への思い、礼拝ごころ、賛美と感謝の心は、まさに祭壇である。 今朝、あなたの祭壇は質素でありつつも、整っているだろうか? 石はキチンとしていて、捧げものが転がり落ちないようになっているだろうか? 一週間のこの世の生活に疲れ果て、見るも無残な姿を曝け出していないだろうか? 唯一なる神と自分自身に向かい合って見よう。 もし、祭壇が崩れかけていたら、それによって私自身が煩わしい生活に落ち入っている元凶かも知れないから。

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