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■ 燃え尽きた預言者 / 第一列王記19:1~8 (2006-07-30)

「主よ、もう十分です。私の命を召し上げてください。私は決して特別な者ではないのですから・・・」
エリヤは呟いた。三年に及ぶ壮絶な戦いが彼を燃え尽きさせたのか。生きること、神のことばに聴き従うこと。偶像礼拝に明け暮れる人間社会との戦い。国を憂い、創造主への帰属のために一人戦い続けた男も、やはり人間だった。
 

そして、私達はこの場面を読んで何となく安堵する。神が選びたもうた預言者も普通の人間であったことを覚えるから。それにしてもエリヤであったからこその三年だった。
 枯渇した地上、川の水を飲み、「カラスが肉とパンを運ぶから」と言う主の言葉を信じた。
そしてわざわざ異邦人の国へ遣わされ、それも親子心中を実行しようとしている母子家庭を通して生かされたのである。更には450人の偶像礼拝の預言者達との凄絶な戦いもあった。一日として普通の生活感に浸る時はなかったであろう。だが、彼は凡人では得られない人生を体験した。それは「生きる」のではなく「生かされる」ことだった。毎日が生かされている、守られている、の連続であった。
 

エリヤは疲れていた。彼は休息が必要だった。人間誰しもが必要なときをエリヤも必要としていた。人生と体力と精神にも極限が来ていた。自分に向かい合う時でもあったのか。そして一生懸命生きた人間だからこそ、であろうか。妥協を許さず、すべてに対して真摯に取り組む人間だからこそ、であろうか。仮にそうでなくとも生きることに疲れる日もあるのだから。でも、覚えよう。生きているのではなく、生かされていることを。
 

エリヤの心境を考えてみた。3千年前の非文明的社会に生きていた人間と、現代の我々の心身が受ける圧迫と疲労。気力の衰退と疲労に大差ないことを。
それは明日の私達を襲うものでもある。
・ 熱心に主に仕えた後にやってくる場合がある
 ・ 信仰と現実が切り離されたとき
 ・ 神よりも現実的問題が大きく迫って見えるとき
 ・ 祈りがおざなりになっているとき
 ・ 日常のストレスが過大になっているとき
 ・ 神への感謝と喜びが薄れているとき
 ・ 主と私、という構図が消え、孤独な自分だけと思ったとき
 

 

荒野に一人踏み入ったエリヤは自死を願ったのだろうか。わからない。
 彼はえにしだの木の下で横になった。しばらくして彼は声を聞く。
 「起きて食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」
 見ると、パンと水の入った壷が置かれていた。彼はそれを食べ、飲んで40日40夜かけて神の山、ホレブに登った、と聖書は語る。
イエスは言われた。「人はパンのみで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」更に「わたしは命のパンである。」そして「わたしは永遠の命の水を与える。」と。
 

 普通に生きても疲れる現代社会。だが、神の子供達には主からのパンと水がある。だから、起きて、それを食べ、飲んで、休息して残りの旅に出発である。「旅はまだ遠いのだから。」
 

 

 

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