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■ 世界の救い・神の栄光のために / 第一テサロニケ1:1~10 (2006-12-03)

新約聖書にたくさんの教会が登場する。中でもマケドニヤの二つの教会が輝いている。
ピリピ、そしてテサロニケの教会である。迫害と貧しさ、偶像礼拝などがこれらの教会を悩ませた。しかし、否定的に思えるそれらの環境は、教会がめげる要因にはなれず、逆に教会に力を与えてしまった。
パウロがコリントの教会に出した手紙にはこうある。
 『さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。
 苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。』
 実に彼らは失うことを恐れるどころか、喜んだのである。
 

 世界に働く宣教師、伝道者、そして彼らを派遣する教会、何よりもすべてのところで働かれるキリストがおられる。
アライアンス教団にメーベル・フランシス先生という女性宣教師がおられた。大正時代であったろうか、彼女が幼いときであった。毎朝祈る母の言葉が少女の耳に刻まれた。
 「主よ、どうか極東の島国、日本と言う国に宣教師を遣わし、その国民を救ってください。」
ある朝、少女は母に告げた。「お母さん、私が日本に参ります。」そして彼女は成長し、宣教師として、この国を選んだ。四国においてキリストの器として、素晴らしい足跡を残した。多くの教会を生み出し、牧師を育て、戦争中も帰国せず留まってこの国の人々のために働いた。戦後、孤児達を助けた功績により、日本政府から表彰された。その際、昭和皇后の前に招かれた際、彼女は皇后に向かってこう言われたそうだ。「あなたは、救われていますか?」
 彼女は人生を神に捧げ、この日本の民のために時間と労力を捧げつくした。彼女の問いは、キリストからのあなたへの問い、そのものである。『あなたは、今、救われていますか?』
 

クリスマスの教えをどう位置づけようかと考えた。贈り物?家族愛?施し?人間愛?
だが、もしかして、失うこと・・・かも知れない。神は人間のために、最も大切な一人子を失ってくださった。キリストは天のみ座と栄光を捨てて、この世に降りてくださった。失うことに意味があることを新約聖書は語る。失うことこそ、愛だとも言う。与え、捧げ、ゆだね、託す、そしてイエスは弟子達に言われた。「わたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、・・・・」
 

クリスチャンである私の苦手は、失うことである。人間ならば、誰でもそうだろうと思う。
 得ることを望む。受けることを求める。与えられることに喜びがある。そのためには日夜祈る。しかし、失うために祈った記憶・・・?はない。失うことを求めた記憶もない。
 考えてみると、いつもることを求めていた。「祝福をください。癒してください。覚えてください。恵み給え主よ・・・」
 

キリストはすべてを失ってくださった。人生も命も、私達人間のために。それも人間の内側を支配する醜い罪のためにである。イエスがお生まれになった理由は、与えること、失うことを除外して語れないし、意味もない。十字架に向かって生きられた33年間。人間世界のためにご自身のすべてを失ってくださった。クリスマスの真の意味はここにあると思う。あの小さいキャンドルの灯りに、キリストを思う。たった一本のキャンドルの灯りであったが、彼は今も世界中を照らして下さっている。すべてを人類に与えつくして、彼は生涯を終えた。家畜小屋に生まれ、寝かされ、ひっそりと眠る御子を拝した羊飼い達と博士たちは、どんな印象をもったのだろう。今年も聖夜が来る。失うためにお生まれになった御子に出会うべく、心静かにその日を待つ。
 

 

 

 

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