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■ 朝の15分があなたを変える / マタイ6:6 (2007-09-23)

今年も「教会アシュラム」を開催することが出来て、とても感謝であった。 ざわついた「世間から身を退いて」、「ひたすら神さまのみ声を聴く」ことに徹する。 聞くのではなく聴くのである。そんなことが?と思われるかも知れないが、ベテランクリスチャンであろうが、昨日クリスチャンになった人であろうが、神さまが公平に語ってくださるから、実に不思議である。と、言うことは、語ってくださる側が問題ではなく、聴く側が問題なのである。聴こうと思う人に、天の神さまはお語りくださる。ハレルヤ、主をたたえます。

神のみ声と導きは実に不思議だ。問題に対し、そのこと事態への答を人は求める。だが、何故か具体的に答えてくださらない場面が多い。時には、トンチンカンのような導きもある。その時点では、問題の解決とはどうしても思えない。何となく腑に落ちないと言うか、納得できないというか、サッパリしないのである。 しかし、しばらくの後、問題の解決が始まっているのだ。自分の気持ちが解決につながっていなくても、環境は既に解決の方向へ動き出していた。何だかわからない内に、妙に納得させられていて、実に不思議だが、これが神の摂理だと理解できた。

それに比べて、人間の浅はかな現実を知らされる。 仮に誰かが、私にアドバイスを求めて来たとしよう。私はその人に、一番適した答をあげようと懸命になる。たまには納得してスッキリとしたお顔で帰ってくれる場合もある。だが、多くの場合、あきらめ顔で帰ってしまわれる。すると、こちらも何となく後味の悪いものが残る。「そうか、拙速すぎたか」と反省する場合と、自分がその人の内を理解していなかったと考える。まるで昔のペテロのようだ。 実に人間とは有限な生き物である。そして、しばらくは気が重い・・・主よ、赦してください・・・である。

毎朝の15分があなたを変える!と、榎本保朗先生は語られた。 たったの15分、それでも人はその時間を惜しむ。コーヒーを飲む時間、パンを食べる時間が惜しいのだ。ならば、15分早く起きたらいい。一日24時間を無料で恵んでいただいているのだから、たかが15分位はと思う。15分でいいから、神の口から出るパンを食べていたら、どれほど多くの正しい判断が出来るだろう?どれほどのストレスから解放されるだろう?だが、日本人は忙しいのだ。実に忙しく駅のエスカレーターを駆け上がり、先を急ぐ。 エスカレーターはそういうための物だったのか、と頭をひねってしまう。何もそんなに死に急がなくてもいいのに、とさえ、アマノジャクは考えてしまう。

人生は70年、80年。夏草のように短い。それでも人は忙しく動く。短い一日だから、忙しいのか。短い一生だから忙しいのか。それも分かるが、短い一生なら尚更のこと、永遠の神さまの声を聴きたい。せめて15分を主にささげ、そこから元気と真理をいただきたい。

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