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■ 約束の実が見えない日々 / 創世記15章1~7 (2011-02-13)

世の中、約束ごとには様々ある。 金銭の貸し借り、仕事の受発注、簡単な口約束、そして結婚、考えてみるとすべて「信用」に起因する。 信用しきれないから担保物件を求められる。 住宅ローンなど、金融機関は消費者をまったく信用していないのであり、まあそれが銀行の身の保全であるからだが。 聖書の神とクリスチャンは契約関係にある。 神は私達を信用してくださった。 これは実に凄いことである。天地創造の神が、こんなちっぽけであやふやな私を信用しておられるとは。 そして、私はイエス・キリスト、天の父なる神を信じている、。

創世記、神はアブラムに約束された。 彼の子孫を増し加え、大いなる祝福をもって彼の人生に臨むと。 確かに土地も家も持たないアブラムは、カナンに来てから住む場所も家畜も僕たちも見違えるほどに増えた。 いまや、彼は立派な族長である。 これすべて、神の祝福であった。

だが、アブラムの心に消せない不安要素が存在している。 それはいまだ子孫どころか、妻サライに妊娠の気配も、更に妊娠すること自体、ありえない現実が横たわっていたからだ。 アブラムの胸中には「神の約束放棄」への疑いが、人には言えない悩みとなって渦巻いていた。 そんなある日の夕暮れ、神はアブラムの心に声をかけた。

「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」 主はアブラムの心をすべて知っておられた。 それは心配ごとであり、恐れであり、既に巨大な悩みの岩になっていた。 アブラムは答えた。 「主よ、私にはいまだ子供がありません。私の家の奴隷が跡取りになるのでしょうか。」 神は言われた。 「そうではない。あなた自身から生まれる者が、あなたの跡取りとなる。」

そして言われた。 「アブラム、外に出て空を見上げよ。」

広大空は満天に星が散りばめてあった。 輝く星たちは大小様々であった。 だが、どれもみな生きているかの様にキラキラと輝いていた。 主は仰せられた。「アブラム、ようく見たか。あなたの子孫はこの様になる。」 一呼吸あってアブラムの心に稲妻が走る。 聖書は言う、「彼は主を信じた」。

神は決してアブラムに、増えて地に満ちる彼の子孫を、お見せになったのではない。 この世で最大スケールの、数え切れない星を見せられただけである。 だが、アブラムは意を決して神を信じた。 「神を信じた」のでる。 アブラムの現実にどれほどの暗雲が立ち込めていたにせよ、アブラムは神の言葉に導かれ、星を見て、「主を信じた」のである。

キリスト者の信仰とは、「信じられるから信じるのではない」筈である。 信じられない時であればこそ、神を信じるのである。 目の前の問題が山の様に大きく、しっかりと根を張っているから、神には無理であろう、とするのではない。 山であろうと、岩であろうと創造主にはまったく問題ないし、大差ない。 大空の星を台座として、雪の倉、水の水源を支配し給う神が、私達の問題をどうにも出来ないとするのだろうか。

「彼は主を信じた」 主はそれを「彼の義」と認められた。

信仰にもは値打ちのないものと、値打ちあるものがあるなどと考えたことはない。 しかし現実世界、信じられない状況の中で神を信じることこそ、値打ち有る信仰と言えるのではないだろうか。

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