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■ わかりませんと、あなたも言いますか? / マルコ11:27~33 (2013-02-17)

February 17, 2013

ある日、イエスのところに祭司長、律法学者、長老といったユダヤ教のお偉方が来て言った。
 「あなたは何の権威によって、これらのことをしておられるのか。誰が、あなたにこれらのことをする権威を授けたのか。」
そこでイエスは彼らに言われた。
 「わたしも一言尋ねますから、それに答えなさい。そうすれば、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているかを、話しましょう。バプテスマのヨハネは何処から来たのか?天からか、人からか?」
 

 問われた彼らはワイのワイのと議論が始まった。
・・・仮に天からと言うと、ではなぜヨハネを信じなかったのか、と言われる。
では人からと言って良いのだろうか。民衆はヨハネを預言者と思っているのだから・・・それはまずい。
そして彼らはイエスに答えた。「分かりません」
 

イエスは言われた。
 「ならば私もあなた方に答えない。」
 

この箇所で先ず、考えたいことがある。
 私達クリスチャンも彼らと同様の過ちを犯していないか、ということである。
つまり、イエスに対して質問とか応答が成り立たない様なクリスチャン生活をしていると、主からの返事も貰えない、ということでる。
 何らの発展も無いよう様な行き詰った祈りではないだろうか。
イエスさまに対して仮に幼かろうが、なんであろうが、交わりと応答のある祈りと生活をしていれば、主は応じて下さるが、こちらが黙りこくった信仰の人生では何らの答えも光りもやって来ない。
 

 私達に今、要求されることは、やはり変化だと思う。
 人はすべて変えられることが必要だ。
たとい何十歳になろうとも、である。
 「私はもう、これでいいんだ」と思ったら、その人はそれまでのものだから。
 死ぬまでというか、天に召されるまで、心と魂の脱皮と進化を繰り返す。
 繰り返せるところに、クリスチャンの醍醐味があるのだと思う。
そういうステージで生きて行かないと信仰だって燃えはしない。
いつか、必ず萎んで消えて行く。
 

 敢えて、強いて、考えてみた。
 私達は自分自身に対し、どうしたらチャレンジが出来るだろうか、ということをである。
 先ず、私達の主は「創造主」である。
 無から有を創造されたのだ。
ならば、その創造力を少しでもいいか、分けていただこうではないか。
 何のための信仰かと言うなら、主の特性の一部を僅かでもいいからいただきたいからだ。
 何も真面目くさって、平安と親切な人間性、謙遜な人・・・などと、かしこまっていないで、もっと大胆に出ようではないか。
 天のお父様は気前がとっても良いのだから。
 

 創造はクリエイション、発想はアイディアである。
 更にこれまでと違って逆転思考、リバーサルの思考を持てないか。
そして転換はチェンジである。
つまり、これらを実際の行動に相応しいスキルも貰っちゃおうというわけである。
そう・・状況は必ず変わる、と信じる。
クリエイション、アイディア、リバーサル、チェンジ、スキル、これらの頭文字を並べると、CIRCSと言う言葉になる。つまり、「状況」という言葉である。
 心の色、資質、形など、何かをも変えたいと願えば、意識すれば何かが始まるのである。
 創造主は私の主、私の神だから。
 

そういったことを自分が常に意識し生活し、主に祈れば求めれば、人は変えられ、そして当然であるが様々なシーンで状況が変わって行く。
 「分かりません」とイエスに答えた、お偉いさん方の生き方ではなく、イエスかノーかをはっきりいうことが大切である。
ノーなのに、イエスの様な顔をし続けるところに解決など無い。
ノーならノーでいいから、なぜノーなのかに答えを出そう。
ノーで居続けてしまうから進歩など無い。
 挙句の果てに、主は言われるであろう「わたしもあなたに答えまい。」
 

 

 

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