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■逆境の恩寵 / 第二テモテ4:12~22 (2013-02-24)

明治後半にしたためられたのが、「逆境の恩寵」徳永規矩(もとのり)氏が書かれた名著である。 つい最近探し当てて購入出来たが、当初の値段は70銭という価格であった。 黄色く日焼けし、今にも敗れそうな本の姿に、100年を耐えて証し生きる書に、誠のキリスト者に出会った思いがした。

徳永規矩氏の信仰、そして試練に対する考え方は実に驚くばかりである。 頭では理解できても、現実において理解をはるかに超えて腹から唸納得せざるを得ない。

肺を患い床につき、病苦と極度の貧困の日々。 幼い子供たちと妻は彼を支え、共に試練の嵐に揺さぶられ続けた。 そこで氏が出会ったことは、逆境でこそ出会えた神の恩寵(めぐみ)であった。 氏は言われた。 仮に彼が丈夫な体でいるとしたら、自分の意のままに生き、神に不遜の人生であったろう、と。 しかし、逆境の中に生きることを強いられて知ったことは、神は本当に彼を愛し、彼の傍らに生きてくださる、という現実であった、という信仰の告白である。 40歳を僅かに超えて天に召された徳永氏の信仰は「キリストの使徒」にも劣らず、である。

パウロが刑死の直前に書き送ったテモテ第二の手紙、切々と語られる思いは、まさに逆境の恩寵そのものである。 彼はなぜ土牢に監禁されたのか?彼はなぜ処刑されたのか? それはキリスト者であり、キリストの福音を伝えたからである。 神はパウロに対し、敢えて厳しい人生を与え給うたのか?

それはパウロが主を愛し、主に愛されたからである。 それはパウロがいかなる試練にも耐えうる人間性と、信仰の持ち主だったからである。 そして、パウロは逆境の中で、キリストの恵み(恩寵)に出会った。 パウロが信じた主キリスト、徳永規矩氏が信じたキリストは今、私やあなたが信じるキリスト、同じその方である。 であるのに・・・違うのはなぜか。 問題はこの土の器が微妙に違うからだと言えまいか。 中味なる宝に異質はないが、宝を入れる器の形が違うのだろう。

世界の奇跡と称された「アン・サリバン女史」、聞けず、喋れず、見えずの三重苦をいう宿命を負ったヘレン・ケラーを6歳から養育し、厳しい面と深い愛の両面で包んで育て世に送り出したサリバン先生こそが「奇跡の働きびと」であり、逆境の恩寵そのものであった。 極貧の家庭に生まれ、幼くして母を失い、弟を失い、心を患い、そして失明した。 試練の追い討ちは更に彼女にまとい付き、離れに入学し、六年間という長期にも耐え抜いて卒業した。 更に神の恩寵は続き、その目に光りが戻ったのである。 間もなく、三重苦という暗闇で吼え続けた6歳の獣の様な少女、ヘレン・ケラーの専属家庭教師となった。

サリバン先生の告白がある。 「あもし、この少女を救うことが出来たら、私はこの世に生まれて来た甲斐がある。」 遂にサリバン先生は生き甲斐という光、そして神からの恵みに出会った。 というより、神の恵みが彼女に出会うときを待っていたのだろう。

パウロの生き甲斐は異邦人伝道と彼らの救い、そしてキリストの弟子に育てあげる、これこそがパウロの生き甲斐であり、いのちであった。 その道に更なる逆境が待ち受けようとも、その道以外に恩寵に出会うことなしと決めていた。 ならば死が待ち受けるこの道こそ、わが進み行く道に間違いなし・・・であった。

私達のキリスト者としての生き甲斐は何だろう。 端に個人的な楽しみが対象ならば、生き甲斐とはほど遠いと思う。 人は楽しみのために生まれて来たのではない。 命を賭してさえ後悔せずの道こそ、考える葦に相応しい生き様だと思うが・・・

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