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■ 「He has risen!」(彼はよみがえった!) / マルコ16:1~14 (2013-03-31)

「He has risen!」(彼はよみがえった!)

今年のイースター礼拝メッセイジは敢えて、risenという英語のタイトルにした。 それは現在形riseという言葉の持つ意味が非常に多様に使われることと、すべての意味そのものの強さ、ポジティブ、様子に惹かれたからである。 どれほど多様な場合に用いられるかは、辞書を調べていただければ、きっと納得されると思う。

暗く押し潰されそうな受難週の空気の中で、私達は「最後の晩餐」の夜を過ごさせていただいた。 私達と異なり、不安と迷いの時間を過ごした弟子達の心を多少は共有出来たし、聖歌の曲調と歌詞に心を砕かれた。 これから訪れるであろう、暗闇と絶望の深さを計り知る由も無い弟子達の会話、「誰が主を裏切るのだろう」とか、「弟子の中で誰が一番偉いのか」といった会話の裏に、返ってその場の重苦しい空気を紛らわそうとするかの様な人間の物悲しさを感じた。

そして十字架・・・・葬り・・・。 余りの非情な出来事の大きさに、誰もが心に大きな空洞を持たされてしまった金曜、土曜。 だが、日曜の朝、まだ暗い時間、その出来事は突然起こった。 誰一人想像も為し得なかった出来事が起こった。 幾度も幾度もイエスが生前に語られたいたことだったが、弟子達の誰一人悟っていなかったこと。 前代未聞の扉が開いたのである。 イエスのご遺体に香油を塗りに行った女性たちの目の前に、復活のイエスは立たれた。 そのことが未来永久に人類の歴史が全くひっくり返る瞬間になろうとは、その日の女性達も弟子達も考えなかった。

仮にイエスがよみがえらなかったら? 想像してみて欲しい。 当たり前の様に生きて来た世界は、完全に有り得ない!のである。 全く異なる世界になっていた筈であるが、それさえもどの様なのか想像出来ないし、想像し得たとしても、暗黒だけが浮き上がって来るだけである。 それ程にイエスのよみがえりは、もの凄い事件であったし、そして起こらなければならなかった。

先ず、イエスがよみがえらなかったら、クリスチャンは誰一人存在しない。 新約聖書が無い・・・ 教会が無い・・・ 限りなく人々を魅了し、影響を与えた神のみことばも無い・・・ 絵画、無い・・・ それだけではない。 生き方、思想、希望など人類を支え、その営みを指導し、引っ張ってきた目に見えぬところに多大なる影響を与え続けて来た「力の根源」が無いのである。 あの朝、世界がどれほど力を尽くしてキリストの存在と復活を否定しようとも、出来なかった。 今も人々は簡単に否定することは出来るだろう。 しかし、2千年という人類の歴史を紐解くとき、復活を肯定せざるを得ないことに気がつく筈である。

「彼は此処(墓)にはいない。彼はよみがえられた。」 1988年、イエスの墓をイメージする場所がエルサレムにあった。 横穴を掘ったもので大きな墓だった。 中を歩き回り、ふと外に出ようとして、入り口の鴨居を見上げた瞬間、小さなプレートに書かれた文字に目が捉えられ、胸に熱くこみ上げる感動と共に思わず涙が湧き出た。 「He is risen! He is not here.」 空っぽの墓を見て、手を挙げて大喜びするのは、世界でクリスチャンだけである。

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