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■ 福音は私の命です / 第一コリント2:1~16 (2013-06-23)

陸と海の十字路の町と称されたギリシャはコリントの町。 様々な人種と生き方、文化文明の交差点、そして偶像がごった返す町だった。 コリントの町は実に多彩な歴史を持っていた。 大国とのあくなき戦い。そして蹂躙され滅ぼし尽くされた過去。 しかし、そこから立ち上がった町はやがて大きな変革を遂げた。 逞しく貪欲に今を楽しみ、自由を謳歌し各地の文化を吸収した。 おかげで近隣諸国の偶像礼拝と宗教色はコリントに満ち溢れ、どぎつい色に染まっていた。 当然ながら性的モラルは崩壊し、快楽と欲望が渦巻く十字路の都市になっていた。 しかしと言うべきか、だからと言うべきか、全能の神の息吹はその町に向かって吹き込まれ始めていたのである。

コリンの町にキリスト教会が誕生した。 教会は見る見るうちに人々で溢れた。 しかし、コリントの教会には様々な問題が生じていた。 快楽と放蕩の町が生み出した景色は教会自体にも反映されたいった。 性的モラルの堕落と肉的人間主体の教会。 コリントの教会を総括すると、大きく二つの点が浮かび上がる。 一つは不品行、もう一つは霊的未成熟である。

主キリストから送り込まれた掃除人、使徒パウロはその現状に言葉を失ったであろう。 彼の唇から発せられた言葉、「人はキリストの十字架の血潮で洗われる以外に、救われる道なし!」といったものであったろうか。 シンプルで真っ直ぐに十字架の意味と力が語られたが、パウロにしてみれば「それを語らずして何を語るのか?」であったのだろう。

そして後にパウロがコリントの教会に送った手紙に記してあった言葉。 『なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。』 パウロ自身がそこに心を置かなければならない程、前代未聞の教会はそんな様相を呈していた。 しかし、後になって「コリント人への手紙」が未来永遠に、世界の教会にとって「この上無き反面教師」の役目を果たして行くことになろうとは・・・・ 書簡を書き送ったパウロでさえ知る由も無かったであろう。 陸と海の十字路に生まれたコリントの教会は、瀬会の教会が絶えず頭を抱えてしまう問題が凝縮されていた。

この日本、偶像は八百万と言われ、それはコリントの町の偶像よりも多い。 信仰の信念、信仰に理念、子孫が継承すべき人生論、これらは唯一誠の神から与えられる以外に道はない。 偶像渦巻く所に存在するのは性的モラルの堕落、そして霊的未成熟といった問題である。 日本の教会も世界の教会もこの二者から解放されることは無いであろう。 教会が人間を中心存在する限り。 それを無視して教会の取り組みを語ることは出来ないし、同時に各人がキリストにしがみつく事を怠ってはならない。

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