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■ 失格者(ヒーロー)の神 / 第二サムエル記3:1~5 (2013-09-22)

旧約聖書時代、そして現代のユダヤ人、イスラエルびと、そして時代を超えて限りなく大勢のクリスチャンたちにとってダビデという人は偉大なるヒーローである。 彼の右に出る英雄はいない。 詩篇の殆どがダビデを想って書かれ、歌われた。 詩篇で心洗われ、癒され、力と勇気を与えられた人は数え切れない。 その詩篇は私達の心をダビデに向かわせた。

ダビデの息子たち、少なくとも八男まで数えられる。 8番目はソロモンだった。 そして六男までを数えると、その子の母親は6人いた。 つまり、6人の息子達の母親はすべて異なる女性だったということである。 そこから始まる悲劇がある。 男の子達の間には異母妹や異母姉も沢山いたのである。

長男アムノンは三男アブシャロムの実妹タマルに対して激しい恋をした。 彼は食事も喉を通らない程であったらしい。 誰が見ても病気と思われたが、その理由が恋の病とは・・・ 届かない、適わぬ恋ほど強く燃えるのである。

アムノンの友人はさすがに見かねて助け舟を出した。タマルの手から甘いパンを食べさせて貰えるようにダビデ王に仕組んだのである。 王から許可を得たアムノンは使いをやり、タマルを呼びつけた。タマルは素直にアムノンのためにパン菓子を作り、アムノンの部屋の前に置いたが、彼はそれを直に彼女の手から食べたいと頼んだ。 傍へ来たアムノンはタマルを強引に引き寄せ彼女を我がものとした。だが、ことが終った後、アムノンはそれまでの彼女に対する恋の情熱が消えたかの如く冷たくあしらった。イスラエルにおいてさえ、妹への仕打ちであり、責任を取らない強姦であり、そして彼女を突き放すなど更に冷たいあしらいだった。

タマルは灰をかぶり着ていた衣を引き裂いて怒りと悲しみを表し、声をあげて泣いた。 兄のアブシャロムはその出来事を知るとタマルを引取ったが、アムノンには一言たりとも言わなかった。 ダビデは事の始終を知り非常に怒ったが、それ以上の行動は起こさなかった。 アブシャロムの心には消すに消せぬ怒りの炎が燃えていた。

そのこと以前にダビデ王は取り返しのつかぬ性的過ちを犯している。・ そして己が罪と過ちは、幾ら過ぎた事とはいえ、人を神の前に凛々しく立つことを阻むのであろうか。 王の権利と自分のすべてが思いのままになる環境は人を変えるに充分であったのだろう。

アムノンに対し、アブシャロムに対し、一言も発信できないダビデ。 やがてアブシャロムはアムノンを殺す。 それでもダビデはアブシャロムと遠く距離を置いた。 アブシャロムは父からの慰めの言葉、父の叱責、王の裁きを聞きたかったのだと思う。 ダビでとアブシャロムの距離は遠のくばかり。

やがてアブシャロムは父に対し、クーデターを起こす。 しかし、やがてダビデの部下がアブシャロムを刺し殺した。 その知らせがダビデに届いたときの王の悲しみが真実に伝わってくる。 第二サムエル記18:33 すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。 彼は泣きながら、こう言い続けた。『わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。』

結局ダビデは何一つ、人として、王として、父として行動を起こさなかった。 私たちも失敗することは少なくない。 しかし、行動を起こさずして失敗することと、起こして失敗することの何れから学ぶだろう。

そして神はどうしてダビデをあれ程に慈しまれたのだろう? 彼ほど神と人に愛された人はいない。 どうして神は・・・?

そして聖書から知らされたことは。 そう、ダビデは主が選んで主が立てた王であった。 失格者とも言えるダビデを神は愛し通された。

新約の私達はイエスによって直接に選ばれた存在だ。 仮に私たちが大きな失敗や過ちを犯したにせよ、悔いて主の前に出れば主はご自身の約束を反故にはなさらない。 神はご自身を否定することが出来ないからである(第二テモテ2:13)。 人間に身勝手な判断であろうか。 それとも神の愛だろうか。 私は後者を取る。

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