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■ 信仰の資質改革 / 士師記6:24~32 (2014-02-02)

イスラエル民族がカナンの地に住み着いてから数十年経った頃。 彼らは先住民族と交流が始まっていた。 息子に嫁を娶らせ、娘を嫁にやるといった付き合いから親戚関係が生まれたりも、あったであろう。 またひょんな事から友達付き合いが始まったりも、あったであろう。 荒野の旅でモーセが心配したとおり、イスラエルはカナン住民との交流において、その地のの偶像礼拝が入り込み、間違いなく御霊なる主への心は離れていった。

男神バアル、女神アシュタロテと呼ばれた偶像は、農耕民族の目に見える神々であり、その礼拝祭儀にも魅入られたのであろう。 多産を象徴する女神的な偶像礼拝においては、神殿売春の様なことさえ、当然至極のように行われていた。 そういった環境の中で、律法と捧げ物だけの礼拝は間違いなく、イスラエルの心からは影が薄くなって行き、バアルへアシュタロテへと思いは靡いて行った。 そしてヤハウェなる主はイスラエルの信仰心を取り戻すべく、周囲の敵に力を与えられた。

私の育った田舎の環境は文字通り偶像に満ち満ちていた。 日本はカナンと何ら変わらない、偶像の国であるが、別に偶像が何かをするわけではない。 偶像を求める人間の心が問題なのである。 偶像は人間に文句や理屈を並べるわけでもない。 人が造った神々に何が出来ようか。 人が運んでやらなければ、一歩たりとも動けない物に、未来の何がわかろうか。 人間は自ら造った偶像に頭をさげて礼拝してきた。 入魂と言って木像に魂を入れることさえ、現代も行っている。 死んだ人の魂を合祀すると言って、神社で奉納する。 生きている人間に出来よう筈もないことを、誇らしげに行う姿は誠に嘆かわしい。 が、これさえもこの国の民の習性であるとしか言いようがない。

主がギデオンという一人の、普通の兵士を選ばれたことに特別に大きい意味はなかったであろう。 唯一あったとすれば、偶像に心を売っていなかったこと、そして心は主に向いていたことだけだったと思う。 主の力は、そういう普通の人、つまり弱さもあり、疑いもし、恐れもあった。

神への信仰にだって資質はある。 それは知識だけで固まったものではなく、好奇心と柔軟性があり、主を仰ぐ強さがあり、退くことよりも前に出る思いがあり、現状に満足しない渇きがあることなどだろうか。 クリスチャンとて同様である。 信仰の改革、それは決して淀んだり、終らせてはならないムーブメントである。

主はギデオンに現れ、秘蹟を見せられた。 そのとき彼は「主のために祭壇を築いて、これをアドナイ・シャロム(主は平安)と名づけた、と聖書は語る。 おそらくギデオンにとって最初の礼拝であり、祭壇構築であったろう。 彼は心に燃える灯火を見たことだろう。 しかし、彼は主に対する真実な思いの故に、それを為したのである。 カナンの環境に心を毒され、ヤハウェから離れている父や周囲のイスラエルの民の現状への怒りがギデオンの胸に込み上げ、人よりも神を畏れる信仰を新にしたのである。

私達は毎週礼拝する。 しかし、そこには主にあって日々新にされるべく思いと渇きがあるだろうか。 先週の続きで礼拝していないだろうか。 聞いて帰るだけの礼拝への道すがらではないだろうか。 リバイバルを年に一度の催し物として捉えていないだろうか。 願わくは毎週が信仰の資質改革に向かう礼拝姿勢であって欲しい。

主はイスラエルの信仰資質改革のために大きな試練を与えられ、そして若き士師を起こされた。

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