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■ 母の願いは断たれたけれど / ルツ記1:1~18

母の日に思うこと、やはりキリスト者としての母の生き方である。 裕福で平穏な人生に生きた母も数多くおられるであろうし、極貧と病いの中で信仰を守り通した母も少なくない。 サミュエル・ブラウン師は19世紀の日本において多大な功績を残されたし、日本への愛は日本人以上のものであった。 師の言葉、「私が仮に100回の人生を得られたとしても、100回とも日本に来てキリストのために生きたい。」 以来、この日本と日本人伝道に仕えられた。

サミュエル・ブラウン師のお母さん、フィベ・ブラウンは凡そ勉学に勤しむ環境は得られなかった女性である。 二歳で孤児となり、15歳の頃に僅か半年だけ地方の学校に在籍された。 結婚後も貧しさと病気の妹を世話し、子供4人を育てる日々だった。 しかし主キリストは彼女の信仰の上に素晴らしい賜物を開花された。 それは彼女の心の叫びとも言うべき詩である。 単に情緒的なものでなく、神が下さった素晴らしい自然、赦された喜び、己が罪に対する嘆き、そしてどんな罪びとも解放する十字架の力がテーマだった。 彼女の詩は当時から多くのキリスト者の心に迫り、揺さぶり、賛美歌となって後世に至っている。 息子がこの極東の島国、日本に渡りキリストに仕えていること誰よりも喜び、遠隔の地イリノイ州では、ひたすら孤独の中でキリストに向かって主に祈り、生きられた。

サミュエル・ブラウンは母の信仰と生き様から多くの恵みを受けた。 貧しさと厳しい環境がフィベの信仰をへこますことは出来なかった。 母の絶えない祈りは、異郷の地の息子をキリストの前から埋没させることなく、キリストに向かわせた。 「罪のほか、何も恐れないで、キリストのため、人類の大目的のために生きなさい。」 ブラウン師はこの手紙を、母の死亡通知と共に受け取った、と後に書いている。 彼女はキリストへの従順な信仰と人生の足跡を地上に残し、天の国へ凱旋した。 そのこと自体、キリストに与(くみ)する者の勝利であり、十字架の勝利である。

聖書は士師の時代、ナオミとルツという姑嫁の話が、ルツ記として置かれている。 飢饉を逃れ、モアブの地へ夫と息子二人と連れだって逃れ、で移り住んだナオミと家族であったが、その地で夫に先立たれた。 息子二人はそれぞれモアブ人の嫁と家庭を持ったが、10年ほどして二人とも亡くなった。 不運なのはナオミだけではなく、ルツとオルパという嫁達であった。 悲惨な運命に置かれたナオミは意を決し、ベツレヘムに戻ることにした。 だが、二人のモアブ人の嫁たちに対する故郷の強い蔑視の目を想像したとき、まだ若い彼女たちだけはモアブに残って新しい人生を送って欲しい、と願うナオミであった。 だが、ルツはナオミとの別れよりも姑と生き、姑の信じる神を信じ、姑の死を看取るまで離れない覚悟であった。 ナオミの神が、それほどまでに思い試練と人生を与えられたにも関わらず、ルツは言い切った。 「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」 ルツ記1章16~17

神々しいというより、凄まじい場面である。 不運極まりないような人生をほうっておかれる神がナオミの神であった。 普通なら誰だってそう思う。 だが、ルツは己の感情よりもナオミの人生とベツレヘムと神に、自分の人生を賭けた。 キリスト者が言う「賭け」とは、一般的なギャンブルと異なり、何が起ころうと神の側に自分も立つ、ということだ。 仮に自分が願ったとおりにならずとも、負けたのではなく、それも神のみこころであり、神の選択ゆえと腹を括ったのである。 「信仰は賭けである。」とパスカルが言ったそうだ。 確かに賭けである。賭けるような局面を恐れる私達であってはなるまい。 「神がどう判断されようと、私はそれに従い、支持する。」ということである。

勝ち目の無い賭けに誰が出るだろう? だが、それもキリスト者の信仰の決断であるなら、誰も非難する立場に無い。 何と言われようが、主を信じて決めたなら、例え火の中、水の中でも神の勝利が待つ。 だから信仰はいつだっては戦いである。 戦いであるべきだ。

ルツはベツレヘムで暮らし始めて間もなく、ボアズというナオミの親戚の男性に見初められ妻となった。 やがてナオミの胸には孫であるオベデという赤ん坊が抱かれた。 近所の女たちはそれを見て言った、「見て見て、ナオミに子供が出来た。」

それからずっと後、ナオミにとって玄孫、ルツにとっては曾孫にダヴィデが登場する。 ナオミもルツも知らなかったであろう、そのダヴィデはイスラエルの王となり、未来永遠のヒーローとなったことを。 神はこのためにルツ記を残した。 異邦人の母、ルツはこのようにしてキリスト・イエスの系図で今から後も輝き続ける。

『いいじゃないか、神には神のご都合と、お考えがあるのだから。』目先がどう変わろうと、これくらいは覚えておこう、信仰の取り組みが楽になる。

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