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■ほら穴に潜ったヒーロー / 第一列王記19:6~18

明治時代、幼子4人、金なし、家なし、明日食べる米なし、主人は肺結核を病む家族があった。 そもそもは夫が見るに見かねて他人の保証人となったが、ご当人は逃げてしまい、挙句の果ては家を売り、あばら家を借りて暮らしていた。 赤貧洗うがごとしの生活だった。 ある日、見知らぬ人から米二俵が届いた。 子供達も夫婦も大喜びした。 ところが何と言うことか、米は一粒残さず盗まれてしまった。 子供達は泣いた、妻は嘆いた。

仮に私であったら、あなたであったらどうするだろう? 「そんな奴、見つけ出して殺してやる!」これには私も同感だ。

しかし、徳永規矩(のりかね)師は子供と妻を前において、こう言ったものだ。 「いいか、みんな、イエスさまに感謝しよう。 先ず、見知らぬ人から米二俵もいただいたことに感謝しよう。 それから貧しい我が家にも、盗まれる物があったことに感謝しよう。 三つ目に、米は盗まれたが我が家には、人の物を盗む者がいなかったことに感謝しよう。 四つ目に、我が家には心の曲がった者はいないけど、世の中はそうではないと教えてくれ実践勉強させられたことに感謝しよう。 五つ目、一番感謝したいことがこれだ。この世の宝は盗まれても、私達は誰にも盗まれないキリストという宝がある。罪の赦しと宝があるじゃないか。感謝じゃないか。」

この記事を読んで「逆境の恩寵」(徳永規矩著)という書を求めた。 そして師の信仰と生き様に深い感銘を受けた。 そして直感、「自分がクリスチャンであるということが恥ずかしい。」 つまり、違いすぎるのだ。

人は暮らしの中で、立つ場所を選択できる。 それは常に二つある。 上記の如く、「相手を殺したい程に憎む場所、もうひとつは徳永師のように前向きな考え」である。 だが、世が考える前向きと、キリストにあって選ぶ前向きは違う。 前者は相手云々であり、後者は自分が今、神の前で、この事態にどう前向きに向かい合うかだ。

エリヤという主のしもべであり、預言者は信仰の凄絶な戦いの後、猛烈な疲れと反動を覚え、神と人の目から身を隠した。 エリヤが過ごした三年間は我が身のためでなく、ひたすら神の栄光とイスラエル民族が神に帰ることを願ったことだった。 エリヤはホレブ山の洞穴に潜んだ。 主のみ声があった。「エリヤよ、そこで何をしている?」 有難いことだ。 主はいつも私達を心配しておられる。 「そこで何をしている?」 その声を心の耳で聞くとき、果たして私達は神の目から逃げているか、自分の夢だけを追っているときであろう。 つまり、「あなたはそんな所に居るべきではない。」なのだ。

27年前、私は神学校に通っていた。 その先に夢があったわけではない。 ただ、御座なりに通っていただけだった。 夜十時の新宿発電車はすし詰め状態。 そんな人ごみの中で聞いた言葉「あなたはそこで何をしている?」 自分の声か、悪魔の声か、もしかしてキリストの声か。 自分はこんな時間、こんな所にいるのだろう・・・?

直ぐに答えたわけではないし、分かったわけでもない。 だが数年して何のためか理解した。 「主よ、あなたに仕えるためでした。」と言えたのは。

ある日、突然示されて献身したわけでもない。 四年の間、行ったり来たり、考え、悩み、祈り、聖書に向かった結果である。 何とも往生際が悪い人間なのだが、結局はイエスが私を諦めてくれなかったからだ。 それ以外に答えはない。

40歳になったとき考え、44歳で答えを出した。 未来のある日、自分が歩んで来た道を思い起こして「後悔しない道って何だろう?」程度のもので渋々、本当に嫌々ながら神学校に行っていた。 先ず通学自体がストレスであった。 遠い!のだ。 家から都内まで1時間40分はゆうに越える。 往復3時間半以上を掛けて、一時間半の授業一つを受ける。 週5回通学で先ずは三年間・・・腹を決めた。 「三年で終る。それで終る。だから三年だけの辛抱。」

通い出して2年、心が軽くなった。「ああ、これで先が見えた。」 遂に三年目が終わりに近づいた。 軽くなったが、一抹の寂しさ(当時は笑えた)があった。 「遂に終る。」 卒業三ヶ月前、学校の先生から電話が入る。 「専攻科、どうしますか?牧師を目指すなら専攻科に行ったほうが良いでしょう。」 私は二つ返事で応えた。「分かりました。行きます。」

「あなたはそこで何をしているのか?」 そのとき、聞かれた問いに答えるべき返事が浮かんだものだ。

 牧師に成りたくても成れない人がいる。 成りたくないのに成れる人もある。 呼んでくれる神がおられたか?呼んでくれる教会があるか? 様々理由もあるだろう。 だが、一番大切なことは、「私は神に呼ばれた。」という召命感だ。 エリヤは洞穴にもぐったが、洞穴は必ず出る羽目になる。 出口は一つしかないからだ。 彼は神に立てられ、神から呼ばれたのだ。 主に仕える道で幾度も洞穴に潜りたいと思ったし、わき道があるなら逃げたいとも思った。 しかし、主はいつも呼ばれた。「あなたはそこで何をしているのか。」

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