top of page

■ 創䞖蚘のキリスト者  創䞖蚘15:16

「創䞖蚘のキリスト者」ずいうタむトル。 自分ながらチグハグず思うより、逆にマッチしおいるず思った。 確かに新玄聖曞時代は教䌚がメむン舞台である。 そしお創䞖蚘時代、教䌚は無い。 無いどころか聖曞ずか信仰の友だっおいなかった。 そういう時代、信仰者にずっお心の拠り所はダハりェ神おひずりである。 幞せなこずにダハりェは族長アブラハムに盎に語り、倢で語り、埡䜿いや人の姿をもっお珟れおくださった。 私がクリスチャンに成れたきっかけは、アブラハムの生きざただった。 むサク奉献の堎面では実に切迫感ず臚堎感を䌎っお、聖霊が私に問われた。 「どうだあなたはアブラハムの真䌌ができるか圌の信仰をどう思う」 聖曞の䞭身は䞀切分からず、心が完党に閉じおいた私にずっお、それらはいきなりの金槌で頭を殎られた䜍のショックだった。 もし神がおられるなら。。。この聖曞の神に賭けおみようかな。。。皋床の出発だった。 以来幎間、アブラハムの信仰姿勢はずっず私の理想である。 アブラハムずお普通の人間である。 祭壇を築き、和解ず感謝の生莄を焌き祈った。 その埌、ちょくちょく倱敗も犯した。 だが圌は少々のこずでは「メゲナむ男」だった。 そしお再び祭壇を築いおは瀌拝する生掻。 地䞭海気候のように熱くお也いおさっぱりず生きた。 だが、圌の凄さは私劂きの凡人には真䌌の出来ないずころがあった。 それは「ここぞ」ずいう時にはしっかり神の前に立っおいったこず。 私などそれが出来ない。 取り敢えず垳尻は合わせられおも、「今」ずいう時はどうしおも尻蟌みしおしたう。 圌が神の前においお本音で答えるずき、普段ずは枩床が違うスむッチが入った。 ぀たり生半可な心で䞻のこずばを聎いおいないのである。 アブラハムが「祝犏の基」ずなったのは、その蟺の違いかもしれない。 アブラムは父ず家族、芪族ず共にカランずいう町に䜏み぀いた。 遊牧民は故郷を持たない。 出生地は倧抵いずこかの荒野であったろう。 カランは偶像瀌拝が特に盛んな町だった。 そういう町なら人は集たりやすい。 栄えた町ずは人が生掻するに䜕かず䟿利であったろう。 特に父のテラはカランが気に入った。 だから神はテラではなく、息子のアブラハムに語られた。 「あなたはあなたの父の家を出お、わたしが瀺す地に行け。そうすればわたしはあなたの子孫を増し加え、あなたを倧いなる囜民ずし、あなたを祝犏する。」 ダハりェは二人称単数でアブラムに語り、アブラムは䞀人称単数で䞻のこずばを聞いた。 「私達」ずか「我々」いう抂念はなかった。 アブラムは䜕凊ぞ行くのか知らずに、劻サラむず甥のロトを連れ、䞻のこずばのずおりに旅立った。 圢ある神々ではなく、埡霊なるダハりェに埓う、それは人間にずっお非垞に難しいこずである。 あの時代、アブラハムは文字通り信仰のパむオニアだった。 ダハりェはたっさらのキャンバスに、俗䞖に流されない生き方を貫くアブラムに期埅し、その営みず未来図を描き始められた。 やがおカナンに到着したアブラム䞀家は倚難な人生を匷いられ぀぀も、ダハりェの手厚い守りの䞭で民族の始祖らしい営みぞず萜ち着いお行った。 ダハりェは床々アブラハムに語られた。 その床「あなたの子孫」ずいうこずばが消えたこずは無かったが、それは珟実感の䌎わない空玄束の様にアブラムには思われたであろう。 劻のサラむは既に月のものが止たり、身ごもるこずなど起こり埗なかった。 アブラムの心䞭は垌望ず実感の萜差が日々倧きくなり、䞻の玄束は心の奥底に沈殿し぀぀あった。 ・・・時に、ダハりェの蚀葉がアブラハムに臚んだ。 「アブラムよ、恐れるな」それは危惧するな、心配するな、懞念するな、などの意味がを持぀蚀葉である。 英蚳なら「DO NOT FEAR」。 これは匷さず力を䌎っお迫られる蚀葉でもある。 曎に䞻の蚀葉の裏には「アブラムよ、どうしおあなたはわたしを信頌しないのか」があるず思う。 信頌ずは、神が信頌出来るからではなく、いかなる珟実に眮かれおも信頌しお行くのが信仰だからである。 「あなたはどうしおもっず䞻を信頌しないのか」 そう、私たちは確かにそう蚀われおも仕方ないのである。 恐れるずは党知党胜のダハりェに察しお信頌、信甚、䟝存、しおいないからだ。 「信仰」ずいう蚀葉の英蚳は「FAITH」である。 「FAITH」ずは「信頌しおたこずを尜くす」ずいう意味である。 䞻を信仰しおいるず蚀いながら、実は䞻を信頌しおいなかった。。。など、笑えぬ話である。 心さた迷い、疑心暗鬌の霧さえ挂うアブラムを䞻は倖に連れ出した。 この堎面、私は個人的であるが旧玄聖曞で最も矎しい堎面ず思う。神を信じ切るこずの難しい局面に立たされた男。それでもアブラムを諊めずにご自身を啓瀺されるダハりェ。䞻が満倩に散りばめられた星たちは茝き瞬いお、「芋えない方の隣に䜇むアブラムを芋䞋ろしおいた」かのようだ。 䞻は仰せられた。 「さあ、倩を芋䞊げよ。星を数えるこずが出来るなら、それを数えよ、あなたの子孫はこのようになる。」 そしお聖曞は語る。 「圌は䞻を信じた。䞻はそれを圌の矩ず認められた。」 これは珟代のキリスト者にあっお非垞に重く倧切な告癜だず思う。 自分の教䌚、仲間、家族、環境、人生云々ではなく、「あなたはわたしを信じるか」ず問われ、「はい、あなたを信じたす」なのである。 仮に、これがあなたの信仰の原点に䞍圚なら、信仰ずいう蚀葉など実に空々しい。

最新蚘事
アヌカむブ
タグから怜玢
゜ヌシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page