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■ 人の子は安息日の主です/マタイ12:1~14

1978年7月、私がクリスチャンになって4か月目の頃、一冊の本に興味をもった。 「沈黙」、遠藤周作先生の著である。 徳川時代、キリシタン迫害と追放の時代に日本布教を目的として海を渡ってきた宣教師の話である。 命を賭して航海の旅を経て、文化も風土も異なる極東の島国へ渡ることだけでも大変なことであった。 更にキリシタン絶対禁制下の時代に突入している国に踏み入って布教すること自体、既に死地に踏み込むことだった。 頼りとするはただ一つ、神の御加護とキリストの導きを信じることだけだった。 司祭たちは生ける神を信じ、主の為に生涯の挑戦を甘んじて受けた。 ニッポンの救いのために。 上陸した時点から困難と苦難の極みが待っていた。 役人に囚えられ、飽くなき取り調べを受け、挙句の果ては棄教目的の拷問が待っていた。 最も苦痛だったのは、キリスト信者たちへの拷問を目の当たりに見させられ、宣教師自身の棄教に迫る踏み絵だった。 自身だけに対する拷問には耐えられた。 だが、キリストを仰ぎ、司祭を慕う信徒の苦痛の呻き声は耐えきれぬ苦しみだった。 信徒たちが既に棄教を認めたにせよ、司祭が踏み絵を踏まぬかぎり、信者達の死に向かう拷問は止まなかった。 彼らはこめかみに小さな穴を開けられ、内臓が下がらないように綱で体を幾重にもきつく巻かれ、汚物で詰まった穴の中に逆さ吊りにされた。 血は少しずつ絶えず滴り落ちる。 昼夜を問わず彼らの呻きは止まない、死ぬまで続く・・・ 司祭は祈った。 途切れなくキリストに助けを求め続けた。 だが、事態は変わらない。 神は沈黙を守られている。 何故?どうして・・・ 主よ、この状況から信徒たちを助けてください。 目の前に踏み絵が置かれた。 銅版に刻まれた「あの方」の顔があった。 人々に踏まれ続けたイエスの御顔は微妙にゆがんで見える。 司祭は、その御顔に顔を押し当てた。 「あの方」も司祭を見つめていた。 「あの方」の目から、ひとしずくの涙がこぼれそうだった。 司祭はそっと画を床に置いた。 そして遂に司祭は踏み絵に足を置いた。 神は沈黙された。 沈黙を守られた。 私は読み終わって、気持ちが萎えた。 疲れて気力も下がった。 この物語から何を得たのだろう。 これは物語ではない、現実であったし、実在のモデルもいた。 聖書から大いに力を与えられ、勇気と信仰を供給されて来たのに、この脱力感をどうしたら拭えるのだろう。 信仰歴4か月の私には悟りきれなかった。 この荷物は38年間、私の心の深い所に沈んでいたが、決して消えなかった。 そして今、長年沈んでいたものが何故か浮き上がってきた。 やはり消えてはいなかった。 だが38年間の中でイエスは少なからず、私を変えられた。 初めに人ありきではない。 聖書は言う「初めに神が天と地を造られた」。 間違いなく、神は人の姿をもってこの世に下られた。 私達はイエスを通して「神の愛と御姿」と知った。 イエスは自己中心な私達に向かって、神中心の生き方があることを教えてくださった。 初めに人ありき、ではない。 ちょうど38年ぶりに「あの本」に向かった。 司祭の眼と足が踏み絵に向かう。 「ほんの形だけのことだ。形など、どうでもいいではないか。」 通訳がせかした。 「形だけ踏めばよいことだ。」もう一度言った。 司祭は足をあげた。足に重い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分がこの生涯で最も美しいと思ってきた方、聖らかと信じた方、いまその方を踏む。この痛み。 その時、「踏むがいい」と、踏み絵の「あの方」は司祭に言った。 「踏むがよい、お前の足の痛さをこのわたしが一番よく知っている。踏むがいい。わたしはお前たちに踏まれるため、この世にうまれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」 司祭が踏み絵に足をかけた時、朝が来た。 遠くで鶏が鳴いた。 現代、私たちは踏み絵を踏んでいない。 踏む機会も場面もないからか? だが、どうだろう。 私は彼を幾度も否定した。 彼の声を聞かぬふりをした。 彼に従わなかった。 彼に背を向けた。 確かに踏み絵は踏まなかった。 だが、私は幾度彼に向かって唾を吐き、彼の御顔を踏んだだろう。

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