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■悩める葦/使徒18:1~11

October 16, 2016

ブレイズ・パスカルの言葉「人は考える葦である」。

風が吹きつけると葦は揺さぶられ、更に強風になるとやがて倒れる。

だが、風が止むと、しばらくして葦は起き上がる。

人も自然の力、人生の苦しみに揺さぶられ、時として立ち上がれない。

だが時の経過と共に徐々に立ち上がることが出来る。

 

パウロという人を考えていて、ふとそう思った。

当初の彼は猛烈に強い人だった。

確かにイエスに出会う前はそうだった。

だがイエスによって練られ砕かれ、福音を携えて生きる中で、彼は弱くなって行った。

と、私は感じたのである。

彼は繊細な人となり、涙で祈りをした人でもあったと思う。

それは滅びゆく魂へのとりなしの為であり、イエスに向き合えない魂への鎮魂歌であった。

彼自身の罪深さを悟り、キリストの前に打ちひしがれざるを得ないのを知ったからだと思う。

そして彼は悟らされた。

弱さこそ、キリストのちからと栄光がパウロを覆うことを。

悩める葦、それはパウロの様なひと。

悩める葦、それは人生そのもの。

 

私達は強風に立ちはだかる樹木かも知れない。

真っ向から吹き付ける強風に向かい立つ。

ある程度までは頑張れる。

だが、更なる強風にあおられると根元から折れて倒れる。

そして二度と立ち上がれない。

本当は、もっと早く己の弱さを悟り、葦の様にしなやかに風にそよいで、キリストに信頼すべきだったのに。

 

勇気とは己の弱さを認めることであって、やたらと強がることではない。

人間は限界ある生き物だ。

無限の強さはキリストのみ神のみ。

勇気とは主に向かって、心から「助けてください」と祈る人と思う。

 

使徒8章。

或る日、パウロはひとり、アテネの町かどに立った。

町は偶像の神々だらけだった。

意気軒昂なパウロは信仰の正義感に燃え、町の人々に福音を述べ伝えた。

しかし、人々の霊的な耳を開くことは出来なかった。

そして彼はコリントの町へ行く。

陸と海の十字路と呼ばれる地形は、様々な人種の交差点であり、文化の交わりだった。

 

コリントの町で、キリストはパウロのために一組のクリスチャン夫婦を出会わせられた。

このことはパウロにとって、さぞや心強い味方となったであろう。

パウロは安息日にユダヤ人が集まる会堂で論じては、死んでよみがえられたキリストを伝えた。

しかし、そこでも満足できる成果は得られなかった。

パウロ自身の行き過ぎた熱心が燃えさかったからであろうか。

彼は着物の裾を振り払って宣言している。

「あなた方の血はあなた方の頭上に降りかかれ。私には責任がない。今からは異邦人のほうに行く。」

それはユダヤ人に突きつけた怒りの餞別だった。

 

熱心だけが独り歩きすると、態度にも言葉にも霊性が伴わない。

それともユダヤ人という向かい風に対し、頑強にこだわって立ち向かったからか?

もしくはパウロの心に憔悴という暗雲が立ち込めたのか。

 

その状況の中で、神は彼に希望という光を見せられた。

会堂管理者のテテオ・ユストという神を敬う人が、イエスを信じたのである。

そしてユストの家族は一家をあげてイエスを信じた。

更に多くのコリント人もパウロのメッセイジを聞いてイエスを信じ、バプテスマを受けた。

一方で、諦めざるを得ない強風、一方で慰めのそよ風、パウロの心は揺さぶられた。

18章9節~

「ある夜、主は幻によってパウロに語られた。

『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたと共にいるのだ。

誰もあなたを縛って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民が沢山いるから。』

 

主は「わたしの民」と語られた。

それはユダヤ人でもなく、異邦人でもなかった。

主の民はイエス・キリストを信じ行く民である。

パウロが今、一番聞くべき言葉だった。

新しいイスラエルは世界中にいる。

 

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